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螺鈿(らでん)は、主に漆器や帯などの伝統工芸に用いられる装飾技法のひとつ。貝殻の内側、虹色光沢を持った真珠層の部分を切り出した板状の素材を漆地や木地の彫刻された表面にはめ込む手法、およびこの手法を用いて製作された工芸品のこと。螺は貝、鈿はちりばめることを意味する。
使用される貝は、ヤコウガイ(夜光貝)、シロチョウガイ(白蝶貝)、クロチョウガイ(黒蝶貝)、カワシンジュガイ(青貝)、アワビ、アコヤガイなどが使われる。はめ込んだ後の貝片に更に彫刻を施す場合もある。目次
1 歴史
1.1 中国
1.2 日本
1.2.1 琉球
1.3 朝鮮
2 技法
3 種類
4 日本国外の螺鈿細工の実例
5 脚注
6 関連項目
歴史[ソースを編集]
中国[ソースを編集]
螺鈿工芸は周代に流行し[1]、唐代に日本に伝わった。
日本[ソースを編集] 黒蝋色花丸紋蒔絵螺鈿鞘大小拵。蒔絵と螺鈿で豪華に装飾された大小(打刀と脇差)の拵。
日本では、螺鈿は奈良時代に唐から持ち込まれ、琥珀や鼈甲と組み合わせて楽器などの装飾に使用された。古い遺品としては正倉院宝物として伝来する螺鈿紫檀五絃琵琶、螺鈿紫檀阮咸(げんかん)などがある。平安時代になると、螺鈿の技術は急速に向上し、漆工芸の装飾技法として蒔絵との併用が盛んに行われた。鎌倉時代になると螺鈿は鞍の装飾として人気を博し、室町時代になると中国の高価な螺鈿細工の影響を受けた。
安土桃山時代にはヨーロッパとの貿易によって螺鈿産業は急成長した。この頃は螺鈿と蒔絵の技術を使って、輸出用にヨーロッパ風の品物(例えば箪笥やコーヒーカップなど)が多く作られた。これらの品物はヨーロッパでは一つのステータス・シンボルとなる高級品として非常に人気があった。日本ではこの頃の輸出用の漆器を南蛮漆器と呼んでいる。
江戸時代になっても螺鈿は引き続き人気を博したものの、鎖国政策によってヨーロッパとの貿易は大幅に縮小されたため、螺鈿職人は必然的に日本向けの商品に集中することとなった。江戸時代の螺鈿職人としては生島藤七、青貝長兵衛、杣田光正・杣田光明兄弟などが名高い。
現在の日本では奈良漆器によく行われており、代表的な作家に北村昭斎、樽井禧酔がいる。
他の伝統工芸と同じく、新たな用途開拓も試みられている。民谷螺鈿(京都府京丹後市)は貝片を貼った和紙を裁断したうえで絹糸で補強し、織物にする「螺鈿織」を開発。