螢雪時代
1941年(昭和16年)10月号
『受験旬報』から改題
愛称・略称螢雪
ジャンル学習
読者対象大学受験生
刊行頻度毎月14日
(月により5日?13日の間に発売する場合あり)
発売国 日本
言語日本語
定価990円(2021年12月現在)
出版社旺文社
刊行期間1932年(1932年10月号) - 現在
姉妹誌螢雪時代臨時増刊号
ウェブサイト ⇒http://www.obunsha.co.jp/
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『螢雪時代』(けいせつじだい)は、旺文社から刊行されている大学受験生向けの月刊雑誌。広義には「臨時増刊号」を含む。 1932年(昭和7年)創刊で、日本で最も古くから存在する定期刊行の大学受験雑誌[1]。 1970年代頃までは全国展開の大手予備校などはなく、大都市圏のみならず地方に住む大学受験生の受験勉強、受験対策に欠かせない雑誌であった。 現在においても日本唯一の定期刊行の大学受験専門誌であり、大学受験・進学の進路指導において権威を持つ。かつては競合誌として学研刊行の『高三コース』(刊行後期は『大学受験Vコース』と改題)が存在した。 1932年(昭和7年)10月号 - 1941年(昭和16年)9月号。 1931年(昭和6年)9月1日に歐文社(現旺文社)を創業した赤尾好夫は、学生のための通信教育・進路指導・学習参考書等の出版事業を開始した。通信教育会員の増加に伴い翌1932年(昭和7年)10月、会員の機関誌として『受験旬報』を創刊。『受験旬報』は通信添削会員向けの通信誌であり、旧制高校、旧制専門学校、大学予科への受験者を読者とし、月3回刊行。 創刊時の通信添削の会員は17名、『受験旬報』は赤尾好夫とその友人の二人だけで作ったという。赤尾は自ら編集長を務め、また「巻頭言」「受験対策」「受験旬報懸賞問題」などのコーナーの執筆を担当。誌面と添削により全力で受験生を激励する赤尾の姿勢は全国の受験生に支持され、『受験旬報』は発行部数を急速に伸ばす。 赤尾は発刊の翌年、龍山中学校の教諭原仙作に英語の参考書を執筆させたが、これが現在でもロングセラーを続ける旺文社『英語標準問題精講』である。原は『受験旬報』の記事執筆者の一人でもある。 中曽根康弘(旧制静岡高校に進学、後の第71 - 73代内閣総理大臣)は通信添削会員の一人であり『受験旬報』の読者であった。 1941年(昭和16年)10月号 - 1948年(昭和23年)3月号。 『受験旬報』は1941年(昭和16年)10月号より、『螢雪時代』と改題され、一般読者向け大学受験進学の専門月刊誌となった。螢雪という名称は、中国の故事である「螢雪の功」(夏は螢の光で冬は雪明かりで勉強する、転じて苦労して勉学に励む)に由来する。『螢雪時代』第1号の定価は50銭。 『螢雪時代』1941年(昭和16年)10月号編集後記には改題について次のように記されている。「本誌は、長年耳慣れた『受験旬報』の名前に別れを告げ、『螢雪時代』という新しい名前の下に再躍進することとなりました。元々『受験旬報』という名前は、昨年9月に従来の旬刊を改めて月刊とした時に改題すべきものであったのですが、種々の事情から出来なかったのです。然し名前が変わったからといって、急に内容迄すっかりかわるわけではありません。今後は従来の記事の他に訓話とか、科学読物とか、偉人の伝記といった諸君の常識を増しためになる記事も出来るだけ多く盛って中等学生の学習指導雑誌として完璧の内容のものとしたいと思っています。兎に角次号から内容はぐっと清新なものとなります。ご期待ください。」 1948年(昭和23年)4月号以降。 日本国憲法、教育基本法、学校教育法等の制定により、1949年(昭和24年)に新制大学の入学者選抜が行われることとなった。『螢雪時代』はこれに対応するため昭和23年4月号より、新制大学の入試を準拠した内容にシフトし、大学進学者を読者とした。 特に戦後から1970年代にかけての長期にわたり『螢雪時代』は独占的な黄金期にあった。この時代の『螢雪時代』は短歌、俳句、詩の投稿コーナーが設けられており、受験情報誌のみならず文学に関心のある青少年たちにとっての重要な文化拠点となっていた。この投稿欄を出自とする文学者は数多く、中でも少年時代から天才を発揮して注目を集めていた寺山修司が著名である。しかし1970年代後半から全国的な予備校増設や模擬試験乱立が顕著に見られ、『螢雪時代』もこの新たな波に見舞われ始めた。これを契機として、さまざまな持続可能性を示す編集や改革が行われた。 1990年代には、姉妹紙である『螢雪アルシェ』が発行されていた。ここには、当時人気の予備校講師等の講座が掲載されていた。予備校講師以外では、細野真宏(数学、当時フリー)、林省之介(古文、当時関西大学助教授)等も参加している。 『螢雪時代』の強さの秘密の一つに「大学特信員」制度の充実があった。「大学特信員」とは『螢雪時代』の読者で、大学入学後に編集協力を行うメンバーのことである。常時1,000名を超えた「大学特信員」は、入学大学のナマの情報や受験体験記を提供したが、これが受験生にとって大学選び、受験対策を行う上で、得難い情報となった。 編集部、読者、「大学特信員」による三位一体の誌面作りで、受験世相を反映した独自の新語、造語が数多く誕生した。以下は主なもの。
概要
変遷
『受験旬報』期
『螢雪時代』前期
『螢雪時代』後期
大学特信員制度
年間の編集基本方針(プライオリティー)
入試情報(入試分析と予想等)
合格体験記
採点官入試講評
螢雪ジャーナル(地域別大学情報)
入試特別講座
月例テスト(表彰制)
受験ユーモア(『受験旬報』創刊以来の連載)
大学・学部探訪
「螢雪」新語・造語(キャッチコピー)
WKMARCH
JARパック[2]
関関同立[3]
日東専駒成成神[4]
産近甲龍[5]
津東本女[6]
大東亜帝国[7]
赤尾浪士[8]
赤尾の豆単[9]
赤門入試崩壊[10]
後がこわい入試[11]
1・2・3併願作戦 [12]
駅弁大学・駅伝大学[13]
隔年現象[14]
学歴志向[15]
共痛一次[16]
傾斜配点[17]
螢雪広告時代[18]
現低浪高の役(乱)[19]
国落私合・国合私落[20]
国立大一揆[21]
シケ単・出す単・出る単[22]
四当五落[23]
受験地獄・受験戦争[24]
受験バイブル[25]
受験風林火山[26]
受験ブルース[27]
受験RENTAL症候群[28]
女子の大合短落[29]
女子亡大論・男子亡大論[30]
SKYラーク[31]
スベリ台受験[32]
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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