蝶子はん
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夫婦善哉
Meoto zenzai
作者
織田作之助
日本
言語日本語
ジャンル短編小説
発表形態雑誌掲載
初出情報
初出『海風』1940年4月号(第6年第1号)
文藝』1940年7月号(再掲載)
刊本情報
刊行創元社 1940年8月15日
装幀:田村孝之介、題字:藤澤桓夫
雄松堂書店 2007年10月(完全版)
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『夫婦善哉』(めおとぜんざい)は、織田作之助短編小説。織田の5作目の小説で[1]、本格的に世に出るきっかけとなった代表的作品である[2]大正から昭和にかけての大阪を舞台に、北新地の人気芸者で陽気なしっかり者の女と、安化粧問屋の若旦那で優柔不断な妻子持ちの男が駆け落ちし、次々と商売を試みては失敗し、喧嘩しながらも別れずに一緒に生きてゆく内縁夫婦の転変の物語。織田文学の特色の全てが原初的なかたちで現れている作品でもある[2]
発表経過

1940年(昭和15年)、雑誌『海風』4月号(第6年第1号)に掲載された。改造社の第一回文芸推薦作品となり、同年、雑誌『文藝』7月号に再掲載された。単行本は同年8月15日に創元社より刊行された。文庫版は岩波文庫新潮文庫講談社文芸文庫などから刊行されている。

なお、2007年(平成19年)に続編(『続夫婦善哉』)の原稿が発見され、同年10月に雄松堂書店より正編・続編合わせた完全版『夫婦善哉』が刊行された。続編は別府が舞台となっている。
文体・影響

独特の戯作調の文体や、作品内に夥しく金銭の額が具体的な数字で表わされているのは、織田が傾倒していた作家・井原西鶴の影響で、その後の織田文学にも見られる特色の一つでもある[2]。織田は、現代小説家の苦渋や当時の世相を主題にした作品『世相』の中で、「地名や職業の名や数字を夥しく作品の中にばらまく」理由について、「これはね、曖昧な思想や信ずるに足りない体系に代るものとして、これだけは信ずるに足る具体性だと思つてやつてゐるんですよ」と主人公「私」の言葉として語っている[2][3]
作品背景・モデル

作品のタイトルとなっている「夫婦善哉」という言葉は、法善寺横丁にあるぜんざいの店「めをとぜんざい(夫婦善哉)」の名前から取られたものである。法善寺を「大阪の顔」だと言い、大阪を知らない人から、最も大阪的なところを案内してくれといわれたら、法善寺へ連れて行くと言う織田は[4]、「めをとぜんざい」について次のように語っている。俗に法善寺横丁とよばれる路地は、まさに食道である。三人も並んで歩けないほどの細い路地の両側は、殆んど軒並みに飲食店だ。「めをとぜんざい」はそれらの飲食店のなかで、最も有名である。道頓堀からの路地と、千日前――難波新地の路地の角に当る角店である。店の入口にガラス張りの陳列窓があり、そこに古びた阿多福人形が坐つてゐる。恐らく徳川時代からそこに座つてゐるのであらう。不気味に燻んでちよこんと窮屈さうに坐つてゐる。そして、休む暇もなく愛嬌を振りまいてゐる。その横に「めをとぜんざい」と書いた大きな提灯がぶら下つてゐる。はいつて、ぜんざいを注文すると、薄つぺらな茶碗に盛つて、二杯ずつ運んで来る。二杯で一組になつてゐる。それを夫婦(めおと)と名づけたところに、大阪の下町的な味がある。そしてまた、入口に大きな阿多福人形を据ゑたところに、大阪のユーモアがある。ややこしい顔をした阿多福人形は単に「めをとぜんざい」の看板であるばかりでなく、法善寺のぬしであり、そしてまた大阪のユーモアの象徴でもあらう。 ? 織田作之助「大阪発見」[4]

また、『夫婦善哉』の主人公の男女・蝶子と柳吉のモデルは、織田作之助の次姉・千代とその夫・山市乕次(虎次)である[5]。小説では蝶子がガス自殺未遂をするが、実際は過失で、たまたま遊びにきた中学生の弟・織田に千代は救われたのだという[6]

1934年(昭和9年)9月21日の室戸台風に原因する道路拡張により、大阪の店「サロン千代」(「サロン蝶柳」のモデル)が引っかかったため、千代と乕次夫婦は同年に大阪から別府へ移住した[5][6]。別府の地での夫婦は、剃刀、化粧品、電気器具を扱う「山市商店」(『続夫婦善哉』における「大阪屋」)、割烹「文楽」、旅館「文楽荘」、甘辛の店「夫婦善哉」などの店を次々と経営した[5]。なお、乕次は1957年(昭和32年)に死去したため、1958年(昭和33年)に開業した「夫婦善哉」は千代が一人で経営した[5]

なお、蝶子の弟・信一は、織田自身がモデルであるという見方もあり[5]、正編ではあまり出番のない信一が、続編では徴兵検査に合格し応召することになったものの、肋膜を悪くして帰郷となり、弟を可哀想に思った蝶子が別府へ呼び寄せるという話になっている。なお、実際の織田は徴兵検査を不合格となっている[5]
あらすじ

大正時代の大阪。小さな貧乏天麩羅屋の娘として育った蝶子は尋常小学校卒業後、半年の女中奉公を経て17歳で芸者になり、その持前の明るいお転婆な気性で、陽気な座敷にはなくてはならない人気芸者に成長する。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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