蝶ヶ岳
蝶槍方面からの蝶ヶ岳
標高2,677[1] m
所在地長野県松本市、安曇野市
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度17分15秒 東経137度43分34秒 / 北緯36.28750度 東経137.72611度 / 36.28750; 137.72611
蝶ヶ岳(ちょうがたけ)は、飛騨山脈(北アルプス)にある標高2,677mの山。常念山脈の稜線上、常念岳の南にあり、山体すべてが長野県に属する。中部山岳国立公園内にある[2]。 蝶槍の南に三等三角点(標高2,664.32m、点名は蝶ヶ岳)[3]があり、長塀ノ頭が最高点(標高2,677m)である。1990年(平成2年)頃に、蝶ヶ岳の山頂は前者から後者と解釈するように変わったとされている。[4][5]山体はなだらかで、蝶ヶ池、妖精ノ池などの湖沼が点在する。稜線は、二重稜線
概要
雪形と山名の由来蝶ヶ岳山頂部の雪形ミヤマモンキチョウキヌガサソウ
1640年代(正保)の絵図に蝶ヶ岳の山名の表記があった[6]。5月下旬から6月上旬頃に、蝶ヶ岳山直下南側の稜線付近に白い羽根のチョウの雪形が現れる。安曇野(安曇野市豊科付近)から見えるこの雪形を農耕の目安としていた。山名の由来はこの雪形に由来している[4][7]。また5月下旬頃に、蝶ヶ岳の三角点の付近の稜線付近に「黒い蝶」の雪形が見られる。山岳写真家の田淵行男は『山の紋章・雪形』[8]で、この白い蝶をミヤマモンキチョウに例えた。 各方面からの登山道が整備されていて、東側の三股からの蝶ヶ岳新道が、最短ルートである[11]。山の上部の登山道周辺では、オオサクラソウ、クルマユリ、キヌガサソウ、シナノキンバイ、チングルマなどの高山植物が見られる[7]。山頂付近の稜線や常念岳の北側の常念乗越付近[12]などでは、ミヤマモンキチョウ、ベニヒカゲなどの高山蝶が飛び交っている[6] 。 常念山脈縦走路
登山
1826年(文政9年)- 修行僧の播隆が中田又重郎を案内人として登頂したのが、記録上の初登頂とされている[6]。
1933年(昭和8年)10月 - 冠松次郎が登頂し山頂付近の鳥居と槍ヶ岳の写真を撮影した。
1958年(昭和33年) - 中村義親が蝶ヶ岳ヒュッテが山頂直下で開業した[9]。
1966年(昭和41年) - 山頂鳥居は取り壊された。
1969年(昭和44年) - 中村義親らが3年がかりで、三股からの蝶ヶ岳新道を開設[10]。
登山ルート
常念山脈の主稜線(唐沢岳 - 燕岳 - 常念岳 - 蝶ヶ岳 - 大滝山 - 霞沢岳)を縦走する登山道がある。
徳沢 - 横尾 - 常念山脈合流点 - 蝶ヶ岳ヒュッテ - 蝶ヶ岳
安曇野側 山頂直下に北側には、山小屋の蝶ヶ岳ヒュッテとそのキャンプ指定地があり、周辺の登山ルート上に複数の山小屋がある[13]。蝶ヶ岳ヒュッテと槍ヶ岳 画像名称所在地収容人数キャンプ 飛騨山脈南部の常念山脈のほぼ中央部にある。蝶ヶ岳の三角点北側の小ピークの岩峰は蝶槍と呼ばれている[13]。西側に梓川を挟んで遮るものがなく、穂高岳と槍ヶ岳の山並みを眺める絶好の展望台となっている[7]。また山頂付近からは、安曇野、浅間山、富士山、南アルプスなどを望むことができる。蝶ヶ岳から望む穂高岳 山容名称標高
三股 - まめうち平 - 大滝山分岐 - 蝶ヶ岳 (蝶ヶ岳新道)
三郷スカイラインの展望台 - 鍋冠山 - 常念山脈合流点(大滝山の北) - 蝶ヶ岳
周辺の山小屋
指定地備考
常念小屋常念乗越 300人テント
40張
蝶ヶ岳ヒュッテ蝶ヶ岳山頂直下の北 300人テント
30張
大滝山荘
南峰との鞍部 50人テント
10張
横尾山荘上高地奥の横尾 300人テント
150張入浴施設あり
徳沢ロッジ上高地徳沢 100人入浴施設あり
徳沢園上高地徳沢 100人テント
200張入浴施設あり
地理
周辺の山
(m)三角点
等級蝶ヶ岳との
距離(km)備考
槍ヶ岳3,180 9.3日本百名山