蝋管
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エジソンによる1899年頃の蝋管蓄音機。

蝋管 (: wax cylinder) とは、音を録音して再生するための商業的媒体として最初期のもの。1896年 - 1915年に最も広く普及しており、その頃は一般に「レコード」とだけ呼ばれていた。中空になった円筒形の物体(シリンダー)であり、外面に録音内容を音溝として刻み込み、蝋管型蓄音機に取り付けて再生する[1]。1910年代には、蝋管と競合していた円盤状レコードが市場で勝利をおさめ、商業的な音楽媒体の主流となった[2]
開発当初

エジソン社の蝋管(左と右)。中央の2本は円筒形の紙箱。
茶色の蝋管。色合いと形の傷み具合はそれぞれ異なっている。
1903年の蝋管レコードに付属していたスリップ(紙片)。
1903年のレコード・スリップの裏側。
コロムビア・フォノグラフ社の筒状ボックスに貼られていたラベルの一部。1901年以前のもの。曲名は手書きである。
「エジソン・ゴールド・モールデッド」レコードの1本。硬めの黒い蝋を使っている。1904年頃。
シリンダーレコードの縁。エジソン社が「ブルー・アンベロール (Blue Amberol)」の名で出していた、石膏を芯とするセルロイド製のシリンダー。
ブルー・アンベロールが収められていた紙筒の蓋。

1877年7月18日、トーマス・エジソンと彼のチームは蓄音機を発明した。エジソンが明瞭な音の録音と再生に初めて成功したのは12月初頭のことで、手回し式の金属シリンダー表面に溝を掘り、その上に巻きつけた薄いスズ箔に音を記録していた[3]。スズ箔はコスト面でも音質面でも実用的な記録媒体ではなく、粗製の手回し蓄音機は物珍しい玩具として売られたのみで、利益は無いも同然だった。その後エジソンは実用的な白熱電球の開発に移り、録音技術の次なる改良は他の人物により行われた[2]

ボルタ研究所での7年間の研究と実験を経て、チャールズ・サムナー・テンターアレクサンダー・グラハム・ベルチチェスター・ベルは紙筒にワックス()を塗って記録媒体とし、凹みを付けるのではなく彫り込むことで録音を行った。テンターらの「グラフォフォン(英語版) (graphophone)」システムは1887年に米国議会の議事記録係によって試験的に採用され、後にディクタフォン・コーポレーション(英語版)により商業用に生産された[4]。このシステムがエジソンの代理人の前で実演されると、エジソンはすぐに蓄音機に関する研究を再開した。彼が最終的にたどり着いた記録媒体は全体をワックスで作った分厚い筒で、表面を削ることで何度も再利用することができた。グラフォフォンとエジソンの「パーフェクテッド・フォノグラフ(Perfected Phonograph,「完成形の蓄音機」)」はともに1888年に商品化された。最終的に特許を共有する契約が結ばれ、紙筒にワックスをコーティングする方式は廃止されて、エジソンによる一体成形の蝋管方式が共通の標準フォーマットとなった[5]

1885年からは録音済みの蝋管が売られ始めた[要出典]。プロによる歌や器楽曲、ユーモラスなモノローグを録音したものだった。当初の顧客はアーケードや居酒屋に設置されていたニッケル・イン・ザ・スロットマシン(最初のジュークボックス)の所有者だけであったが、年を追うごとに蓄音機の個人所有者が多くの蝋管を買って家庭で楽しむようになった。再生装置の心棒に蝋管を付け外しするのは容易だった[6]。初期の管は録音時間が2分間で、約120 rpmの速さで再生された[7]。それらは比較的柔らかい種類のワックスで作られており、何十回か再生すると摩耗してしまった[8]。購入者は専用の仕組みを用いて蝋管の表面を削り、滑らかにしてから再び録音した[9]

1880年代末から90年代にかけて販売された蝋管型蓄音機には録音機構が付属するのが普通だった。再生だけでなく録音が可能なことは、1890年代の終わりに量販市場に出た安価なディスクレコード型蓄音機との競争において利点となった。ディスク型蓄音機は録音済みの音を再生するためにしか使えなかった[9]


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