蜘蛛の糸
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この項目では、芥川龍之介短編小説について説明しています。節足動物クモの糸については「クモの網」を、その他の用法については「蜘蛛の糸 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目には、JIS X 0213:2004 で規定されている文字が含まれています(詳細)。

蜘蛛の糸
訳題The Spider's Thread
作者芥川龍之介
日本
言語日本語
ジャンル短編小説掌編小説
発表形態雑誌掲載
初出情報
初出『赤い鳥1918年7月・創刊号
刊本情報
刊行春陽堂 1932年11月
収録『傀儡師』 新潮社 1919年1月15日
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「蜘蛛の糸」(くものいと)は、芥川龍之介の児童向け短編小説掌編小説)。芥川龍之介のはじめての児童文学作品で、1918年に発表された。映画『蜘蛛の糸』についても説明する。
出版

1918年(大正7年)4月に脱稿され、鈴木三重吉により創刊された児童向け文芸雑誌赤い鳥』7月・創刊号に発表された。芥川龍之介が手がけたはじめての児童文学作品で、芥川にとって鈴木は夏目漱石門下の先輩にあたる。神奈川近代文学館が所蔵する肉筆原稿には鈴木三重吉による朱筆が加えられている。

単行本としては、翌1919年1月15日に新潮社から出版された『傀儡師』に収録されている[1]
材源

この話の材源は、ポール・ケーラスによる『カルマ』の日本語訳『因果の小車』[2]の中の一編であることが定説となっている[3]
ポール・ケーラスの『カルマ』

ドイツ生まれのアメリカ作家で宗教研究者のポール・ケーラス(en:Paul Carus)(1852-1919)が1894年に書いた『Karma :A Story of Buddhist Ethics』(以下、『カルマ』と略)の原書[4](この原書は後述のカルマVである。)には以下の8編の仏教説話が収録されているが、『蜘蛛の糸』の材源となった「The Spider-Web」はケーラスの創作である[5]

『カルマ』には次の8編が載っている。日本語題は、鈴木大拙による『因果の小車』における訳である。

Devala's Rice-Cart :提婆邏(デーワラ)の米車

The Jeweller's Purse

Business in Benares :婆羅奈市(バーラーナシー)の取引

Among the Robbers :山賊仲間

The Spider-Web :蜘蛛の糸

The Conversion of the Robber Chief

The Converted Robber's Tomb

The Bequest of a Good Karma :善根の應報

カルマの諸版

英語版のカルマには、次の3版があり[6]、ストーリーに異同がある。

カルマT、1894年、KARMA, A TALE WITH A MORAL

カルマU、1895年、KARMA: A STORY OF EARLY BUDDHISM

カルマV、1903年、Karma: A Story of Buddhist Ethics

鈴木大拙の翻訳

上記の『カルマ』を鈴木大拙が『因果の小車』のタイトルで翻訳して、1898年(明治31年)9月に出版された[2]。ただし「カルマ」の8編中から前項の5編(日本語訳が付されたもの。)のみが訳出されている。この翻訳では、主人公の名は『カルマ』での「Kandata」から「?陀多」という漢字を当ててカンダタと読ませている[2][注釈 1]ので、芥川もこのまま使っているが、去勢した雄牛を意味する「?」の字の読みは本来「ケン」であり、「カン」という読みはない。
「カラマーゾフの兄弟」説

『カルマ』材源説以前には、ドストエフスキーが1880年に出版した長編小説『カラマーゾフの兄弟』における「1本の葱」の挿話に着想した作品であると考えられていた[6]。昔あるところに、それはそれは意地の悪い女が住んでいて、ぽっくり死んでしまいました。
死ぬまでひとつとして美談がありませんでした。悪魔たちがその女をつかまえ、火の湖に投げ込みました。

そこで、その女の守護天使がそばにじっとたたずみながら考えました。

「何かひとつでもこの女が行なった美談を思いだして、神さまにお伝えできないものだろうか」、と。

そこでふと思い出し、神さまにこう告げたのでした。

「この人は野菜畑で葱を一本引き抜き、乞食女に与えました」、と。

すると神さまは天使に答えました。

「ではその葱を取ってきて、火の湖にいるその女に差しだしてあげなさい。それにつかまらせ、引っぱるのです。もしも湖から岸に上がれれば、そのまま天国に行かせてあげよう。でもその葱が切れてしまったら、今と同じところに残るがよい」

天使は女のところに駆け出し、葱を差しだしました。

「さあ女よ、これにつかまって上がってきなさい」

そこで天使はそろそろと女を引きあげにかかりました。そしてもう一歩というところまで来たとき、湖のほかの罪びとたちが、女がひっぱり上げられるのを見て、一緒に引きあげてもらおうと女にしがみついたのです。

するとその女は、それはそれは意地の悪い人でしたから、罪びとたちを両足で蹴りおとしはじめたのでした。

「引っぱりあげてもらってるのはわたしで、あんたたちじゃない、これはわたしの葱で、あんたたちのじゃない」

女がそう口にしたとたん、葱はぶつんとちぎれてしまいました。そして女は湖に落ち、今日の今日まで燃えつづけているのです。
そこで天使は泣き出し、立ち去りました。 ? 『カラマーゾフの兄弟3』光文社古典新訳文庫 P78から
あらすじ

釈迦はある日の朝、極楽[注釈 2]を散歩中に池を通して下の地獄を覗き見た。罪人どもが苦しんでいる中にカンダタ(?陀多)という男を見つけた。カンダタは殺人や放火もした泥棒であったが、過去に一度だけ善行を成したことがあった。それは林で小さな蜘蛛を踏み殺しかけて止め、命を助けたことだった。それを思い出した釈迦は、彼を地獄から救い出してやろうと、一本の蜘蛛の糸をカンダタめがけて下ろした。

暗い地獄で天から垂れて来た蜘蛛の糸を見たカンダタは、この糸を登れば地獄から出られると考え、糸につかまって昇り始めた。ところが途中で疲れてふと下を見下ろすと、数多の罪人達が自分の下から続いてくる。このままでは重みで糸が切れてしまうと思ったカンダタは、下に向かって大声で「この蜘蛛の糸は己(おれ)のものだぞ。」「お前たちは一体誰に聞いて登って来た。」「下りろ。下りろ。」と喚いた。その途端、蜘蛛の糸がカンダタの真上の部分で切れ、カンダタは再び地獄の底に堕ちてしまった。

無慈悲に自分だけ助かろうとし、結局元の地獄へ堕ちてしまったカンダタを浅ましく思ったのか、それを見ていた釈尊は悲しそうな顔をして蓮池から立ち去った。
類似の物語

スウェーデンの女流作家セルマ・ラーゲルレーヴ1905年に書いた『キリスト伝説集』(岩波文庫)の「わが主とペトロ聖者」が類似した話となっている。わが主(イエス)が地獄に向けて放った天使につかまって上がってこようとしたペトロ聖者の母親が、一緒につかまって上がってこようとした人々を振り落としたために、天使は母親を放してしまい、結局また地獄へ落ちてしまう話となっている。なお、ケーラスは日本で『カルマ』を再版する際に『聖ペテロの母』に依拠したと思われるエピソードを加えている[7]

イタリアスペインには「天国に居るシエナのカタリナが地獄に居る母親を天国に引き上げようとするが、母親は自分にしがみ付いた魂に悪態をついたため地獄に戻され、カタリナは天国よりも母の居る地獄へ移った」という内容の民話が伝わっている。

山形県福島県愛媛県には、『地獄の人参』という話が伝承されている。ストーリーは「あるところに欲張りな老婆がいて、その報いで地獄に落ちた。地獄の責め苦に耐え切れず、閻魔大王に『何とか極楽に行かせて欲しい』と頼んだところ、『何か一つでも良いことをしたことはないのか』と問われる。


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