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蜂蜜酒(はちみつしゅ、英語: mead、ミード)は、蜂蜜を原料とする醸造酒。イタリア語: Idromele、ドイツ語: Met、ポーランド語: miod、スウェーデン語: mjod、リトアニア語: midus、等々国によって呼称が異なるが、多くは印欧祖語で蜂蜜を意味する*med?uに由来する。味や香りは酵母選びや製法だけでなく、ミツバチが蜜を利用する植物の種類によっても変わる[1]。 水と蜂蜜を混ぜて放置しておくと自然に酒の成分であるアルコールになることから、発祥は人類がホップやブドウに出会う前の旧石器時代末にまで遡ると言われている[2]。青銅器時代に蜂蜜の消費量が増加したことから、蜂蜜酒の生産がこの頃に拡大していたと推測される。しかし、ビールやワインなどの他の醸造酒が台頭するに連れて蜂蜜酒は日常的な飲み物ではなくなっていった[3]。 現在、蜂蜜酒の市場は東欧やロシアが主である。自家生産される地域は中東、エチオピアなどアフリカ諸国、中米からブラジルにかけて点在している。 日本でも生産されており[4]、日本酒の造り酒屋が参入したり、蜂蜜酒愛好家が新規に酒類製造免許を取得したりしている[1]。日本の酒税法では、法律改正により2006年5月より分類が変更され、醸造酒類のその他の醸造酒(旧法ではその他の雑酒2、製法によってはリキュール類)に該当する。欧米では製法がワインに似ていることから、「ハニーワイン」(Honey Wine) と称される場合もある。 蜂蜜酒は農耕が始まる以前から存在したとされる。製法が発展するに従い湯や他の植物を使うようになり、ビールに近い味になっていった。蜂蜜酒の製造は共同体での活動に空腹を満たす以上の動機、酔いを分かち合うという目的を与えた。酩酊による非日常感は、人々の絆を強めるといった霊的交流や宗教、儀礼行為へとつながっていった。クロード・レヴィ=ストロースは蜂蜜酒の発明を、「自然から文化への移行であり、人間の行動を決定づける行為である」と分析している。 新石器時代のビーカー文化の遺跡では、蜂蜜酒を飲むための土器と考えられる遺物が発見されている[5]。また、古代ケルト文化の人々には蜂蜜酒は「不死の飲み物」とされ、その神話と強い結び付きがある。古代アイルランド・ケルト人は、先王が失脚すると、敬意を込めて蜂蜜酒の入った桶で溺死させて、祖先のもとに送った[6]。 古代から中世初期のスラヴ人とゲルマン人の間で、ビールと並んで最も一般的な酒であった。当時はワインやビールに蜂蜜を入れて飲むことが多く、ビールにホップが入れられるようになる16世紀までは蜂蜜酒と問題なく共存していた。イギリスにおいても同様であるが、人口が増えるにつれ蜂蜜酒が行き渡らなくなり、中世のイングランド人にとって蜂蜜酒は貴族的な飲み物となった。一般市民には軍隊生活や祭礼の時に飲まれる程度だった[7]。蜂蜜酒に代わり一般市民が飲むために穀物から醸造されるエールが開発され、時代が下ってビールとなっていった。 蜂蜜を水(おおよそ2倍から3倍ほど)で薄め、アルコール発酵させて造る。蜂蜜は糖分に富む(糖度80度前後)が、極めて浸透圧が高いので微生物の繁殖が抑制されている。
概要
歴史
製法
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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