蜀郡(しょく-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。秦代から唐代にかけて、現在の四川省成都市を中心とした地域に設置された。
概要・臨?・青衣
後漢のとき、蜀郡は成都・?・繁・広都・臨?・江原・綿?・??道・?江・広柔・蚕陵の11県を管轄した[3]。
太康年間、西晋により蜀郡は成都国と改められた。後に蜀郡にもどされた[4]。蜀郡は成都・広都・繁・江原・臨?・?の6県を管轄した[5]。南朝宋のとき、蜀郡は成都・?・牛?・繁・永昌の5県を管轄した[4]。南朝斉のとき、蜀郡は成都・?・牛?・繁・永昌の5県を管轄した[6]。
582年(開皇2年)、隋により西南道行台省が置かれた。583年(開皇3年)、総管府が置かれた。605年(大業元年)に総管府が廃止された。蜀郡は成都・双流・新津・晋原・清城・九隴・綿竹・?・玄武・?・陽安・平泉・金淵の13県を管轄した[7]。
618年(武徳元年)、唐により蜀郡は益州と改められ、総管府が置かれた。742年(天宝元年)、益州は蜀郡と改称された。757年(至徳2載)、蜀郡は成都府と改められ、蜀郡の呼称は姿を消した[8]。
脚注^ 『華陽国志』蜀志
^ 班固『漢書』地理志第8上。小竹武夫訳『漢書』3(ちくま学芸文庫)、354-356頁。
^ 『後漢書』郡国志五
^ a b 『宋書』州郡志四
^ 『晋書』地理志上
^ 『南斉書』州郡志下
^ 『隋書』地理志上
^ 『旧唐書』地理志四
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