蛇田
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蛇田
大字
域内にある石巻赤十字病院
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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度26分29.11秒 東経141度16分7.62秒 / 北緯38.4414194度 東経141.2687833度 / 38.4414194; 141.2687833
日本
都道府県 宮城県
市町村 石巻市
地域本庁地域
地区蛇田地区
等時帯UTC+9 (JST)
郵便番号986-0861[2]
市外局番0225[3]
ナンバープレート宮城
運輸局住所コード04501-0473[4]

蛇田(へびた)は、宮城県石巻市にある大字および地域名(後述)。旧牡鹿郡蛇田村の一部に相当する[5]。郵便番号は986-0861[2]
地理

蛇田は石巻市の西部に位置し、蛇田駅前に家屋が密集している。また、多くの町丁および大字に囲まれており、北で鹿又、旧北上川を境にして東で南境、北上運河を境にして南東で境谷地や新橋、南で門脇、西で須江と接し、囲うように蛇田地域を構成するその他の町丁[注 1]と接する。
河川など

北上運河

旧北上川

嘉右衛門堀

歴史

蛇田の名の資料上の初見は1631年(寛永8年)の伊達氏黒印状にある「へびた」である[6]
沿革

367年仁徳天皇55年) - 上毛野田道将軍が戦死[6]

1633年(寛永10年) - 蛇田村山下に桂林山禅昌寺が開山[6]

1663年寛文3年) - 蛇田村の愛宕山東雲寺が現在地に移転[6]

1666年(寛文6年) - 蛇田村蛇田町が開町[6]

1753年(宝暦3年) - 蛇田町から出火 し、307軒焼ける[6]

1928年昭和3年) - 宮城電気鉄道が小野?石巻間開通[6]

1933年(昭和8年) - 蛇田村の一部が石巻市に編入[5]

1949年(昭和24年) - 蛇田村の明神山、山下、山下西、鍋倉、鍋倉前、南谷地、七窪、横堤、横堤前、揚慮原(うつぎはら)、揚慮原西、深淵、境谷地、清水尻、清水尻西、西中里、東中里、面剣田、水押が石巻市へ編入[5][6]

1953年(昭和28年) - 蛇田村、鹿又村と境界変改が行われる[5]

1955年(昭和30年) - 蛇田村が石巻市に編入され、行政区画としての「蛇田」が誕生。

1972年(昭和47年) - 石巻市蛇田・向陽町1?5丁目に分離[5]

1973年(昭和48年) - 蛇田ニュータウンが完成[6]

1998年平成10年) - 石巻河南インターチェンジ開通[6]

2006年(平成18年) - 石巻赤十字病院が湊から蛇田地区に新築移転[6]

2013年(平成25年)5月11日 - 蛇田西部土地区画整理事業に伴い、蛇田字福村南・蛇田字菰継・蛇田字五軒屋敷・蛇田字五軒屋敷前・蛇田字新金沼の各一部を分離し、茜平が設置される[7]

2014年平成26年)2月22日 - 蛇田北部土地区画整理事業に伴い、蛇田字東道下・蛇田字西道下の各一部を分離し、わかばが設置される[8]

2014年平成26年)5月10日 - 蛇田中央土地区画整理事業に伴い、蛇田字芋殻町・蛇田字新金沼・蛇田字新大埣蛇田字太田切・蛇田字大埣・蛇田字福村南の各一部を分離し、恵み野が設置される[9]

2017年(平成29年)5月21日 - あけぼの北地区被災市街地復興土地区画整理事業に伴い、蛇田字西道下の一部を分離し、あけぼの北が設置される[10]

2017年(平成29年)11月3日 - 新蛇田地区被災市街地復興土地区画整理事業に伴い、蛇田字新立野・蛇田字新沼田の各一部を分離し、のぞみ野が設置される[11]

2018年(平成30年)8月25日 - 新蛇田南・新蛇田南第二地区被災市街地復興土地区画整理事業に伴い、蛇田字上前沼、蛇田字新西前沼、蛇田字新沼田、蛇田字西沼田、蛇田字細田と門脇字青葉西の各一部を分離し、あゆみ野が設置される[12]

2020年令和2年) - 石巻市蛇田支所・公民館が新築移転で供用開始[6]

名称の由来

名称の由来は諸説ある。中でも有力とされるものを下に挙げる。
蛇田道公説

日本書紀仁徳天皇五十五年条にある是後、蝦夷亦襲之、略人民、因以掘田道墓、則有大蛇発瞋目白墓出、以咋、蝦夷悉被?毒而多死亡、唯一二人得免耳。

という、田道が大蛇となって蝦夷を破った伝説を信じた村人が、蛇田道公と田道を尊称し、祠を建て祀ったことを由来とする説[13]。現に蛇田には、田道が戦死したとされる面剣田という小字が存在した[13]
蛇多説

1773年(安永2年)三月成立の蛇田村風土記御用書出の冒頭に、「一村名ニ付由来」として次の伝承が記されている[13]。住吉当村ニ住居仕候御百姓ノ家江年々燕巣籠候處、瓜実壱ツ觜ニ含み飛来落候を、家主不審ニ存植置候得ハ、生長仕殊之外大キ瓜ニ罷成熟候ニ付、右瓜切割候得ハ、其中?蛇不知数相出候ニ付、御村之者共寄合、右蛇当村未申之方江相埋メ塚ニ築、其所を蛇塚と名付候、右縁を以蛇多と村名ニ唱候所、追年蛇田と書替候由申伝ニ御座候

このように蛇田村風土記御用書出には、がくわえてきた瓜の実を植えたところ、大きな実がなり、その中から数多のヘビが出てきたため、蛇多村と命名し、後年に蛇田と改称したと記されている[13]


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