[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

「虹」および「霓」のその他の用法については「虹 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
虹(画像の主虹の上部に薄く副虹が見える)滝の水飛沫による虹(アイスランドグトルフォス波の水飛沫による虹.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目ではを扱っています。閲覧環境によっては、色が適切に表示されていない場合があります。

虹(にじ、: rainbow)とは、大気中に浮遊する水滴の中をが通過する際に、分散することで特徴的な模様が見られる大気光学現象である[1]
名称

「虹」を意味する漢語表現に、虹霓(こうげい)、天弓(てんきゅう)などがある。また、虹、?、?、?などのように、虹を意味する漢字虫偏のものが多く存在する。これに見るように中国語では、虹をの一種と見なす風習があるため。環状の虹
概要

虹は、円弧状の光の帯であり、帯の中には様々な色のの束が並んでいるように見える。色の配列は決まっており、端は必ず赤と紫である。

上がり、水しぶきをあげる、太陽を背にしてホースで水まきをした時などに見ることができる。なお、月の光でも虹は見られる[1]
原理
虹の形状

虹が描く弧は、観察者を基点として、太陽とは正反対の方向、対日点が中心となる。対日点は、観察者から見れば地平線の下にあるので、虹は半円に見える[2]

飛行機周辺の空気が水蒸気を多く含んでいる場合には、窓から眼下に360度円環状の虹が見られることがある。雲海を超える高い山でも、眼下に虹が見えることがある。この飛行機や雲海の虹はブロッケン現象によるもので、光の回折で現れる。通常の虹やホースの水による虹とは原理が異なる[3]虹の仕組み(下が主虹・上が副虹)
主虹と副虹

主虹(しゅこう、しゅにじ)または1次の虹と呼ばれるはっきりとした虹の外側に、副虹(ふくこう、ふくにじ)または2次の虹と呼ばれるうっすらとした虹が見られることがある[4]。主虹は、が一番外側でが内側という構造をとるが、副虹は逆に、赤が内側、紫が外側となる[4]

主虹は、「太陽」?「プリズムとなる水滴」?「観察者」のなす角度が40から42度となる位置に見られる。このため、虹は太陽の反対側に見られ、太陽が高い位置にあるときは小さな虹が、夕方など太陽が低い位置にあるときは大きな虹が見られる。また、副虹は、「太陽」?「プリズムとなる水滴」?「観察者」のなす角度が51度から53度となる位置に見られる[5]。 
光学的説明虹角

雨滴内の光の進行

主虹副虹

虹の正体は、雨滴の内部で反射した光である。右図のように、主虹では1回、副虹では2回、光は反射し、雨滴に入るときと出るときで各1回屈折する[4]。光の屈折率は色によって異なるため、水滴で屈折した光は分散する。このため、雨滴から出る際の進行方向は、色によって異なる[6]。背面の太陽光に対して虹が見える角度を虹角というが、赤は約42度、紫は約40度になる。この結果、1つの雨粒からは1つの色のみが観察者の目に届く[7]。たくさんの雨粒から「太陽」?「プリズムとなる水滴」?「観察者」のなす角度によって異なる色の光が見えた時、虹となって見える[8]

この角度は、空気と水との屈折率の比により主虹、副虹ともに決まっているため、太陽の高度によって見えやすさや虹の大きさが決まる[9]。太陽高度が40度から50度よりも低いと、観察者から遠い上空の雨粒を通って虹が見えるため、大きな虹ができる。太陽高度が40度から50度よりも高いと、観察者に近い地上付近の雨粒を通って虹が見えるため、虹は小さく見えにくい[10]。日の出や日没時の虹は水平に進む光が虹角42度で半円の虹を作る。太陽高度が42度以上になると虹は地平線下となり見えなくなる[10]雨粒内の光の進行(主虹)。入射光 (Incident rays) が水滴内に入る高さを徐々に上げていくと、出射光 (Outgoing rays) の出る角度が変化し、ある高さで変化が逆になる。雨粒内の光の進行(副虹)。入射光の高さを徐々に下げていくと、同様の変化が起こる。

厳密には、虹はプリズムの分光と同じではなく、より複雑な現象である。水滴外の入射光を延長したラインと水滴の中心の距離(粒子衝突における衝突径数に相当。以下" b {\displaystyle b} を用いる)が異なると、光と水滴表面のなす角度が変わるため、出射光の角度も様々なものとなる[11]。それにもかかわらず、ある波長の光が特定の角度で強くなるのは、この散乱角θがbの関数で表したときに極値を持ち、その角度では、単位角度あたりの入射光のbの範囲(つまり逆関数b(θ)の微分)が発散するからである[11]。これを虹散乱(rainbow scattering)といい、光学だけでなく原子物理核物理での原子虹と呼ばれる類似の現象も指している[12]

平たく言えば、水滴を固定して太陽光(入射光)を水平に入れ、入射光の高さを水滴の中心方向(水平)から徐々に上げていくと、太陽光が水滴から出る方向も次第に下向きになる。しかし、入射光がある高さ付近になると、太陽光が水滴から出る方向の変化が小さくなり、今度は逆に上がり始める。この高さ付近から入る太陽光はみなほぼ同じ方向に出て行くことになり、この部分だけ強い光が出て行くことになる[13]。このような仕組みで、「太陽」?「プリズムとなる水滴」?「観察者」のなす角度が特定の角度になったときに虹が見え、色が分かれる。

理論的には、赤色B線(686.719ナノメートル)の場合には、水滴内で太陽光が、5回、6回、9回、10回、11回...(2回以外を表示)と多数反射する場合も、その散乱光が観測者の目に届くため虹として見ることも可能だが、反射回数が増えるほどその回数分だけ強度反射率(S偏光ではRs、P偏光ではRp)を掛けることになるので、水滴から出てきた散乱光は相当光が弱くなる[14]

理論的に強度を計算すると、2回反射して出てくる赤色B線の散乱光の場合は主虹の赤色の強度の約42.6パーセント程度だからある意味よく見えるが、5回反射の場合は約10.3パーセント、6回反射では約7.5パーセント程度だから肉眼ではほとんど観測されない。また水滴内で太陽光が3回、4回、7回、8回...と反射して出てくる散乱光を観測する場合の虹角は、4次が50.7度で太陽と反対側、5次が42.1度で太陽方向、6次が43.2度で太陽方向、7次は52.3度で太陽と反対方向、8次は31.6度で太陽と反対方向に見えることになる[14]。このように多重の虹が存在する訳だが、実際に観測できるのは2次の副虹ですら、よほど太陽光線が強いときでないと見えないので、3次以降の虹は光が極めて弱く見ることが困難である[15]。日本国内では沖縄で数回の撮影例がある[16]
白虹・赤虹

雨粒を構成する水滴の大きさも虹の色に影響する。水滴の半径が0.5から1ミリメートルと大きければ、紫や緑、赤がはっきり見えるが、青色は薄くなる[17]。水滴が小さくなるにつれて赤は薄くなり、半径0.1から0.15ミリメートルでは赤は見えなくなる[17]。そして水滴が半径0.03ミリメートルで白みを帯び、0.025ミリメートル以下になると色が分かれなくなり、白く明るい半円が見えるようになる。これを白虹(しろにじ、はっこう)という[17]や雲を構成する水滴でよく見られるので霧虹や雲虹とも言う。また、このとき朝焼けや夕焼けなどの時間帯で太陽光線が赤みを帯びていると、白虹が赤く見えることがあり、これを赤虹と呼ぶ[17]

白い虹に関する記述は、古くは『続日本紀』からあり、宝亀6年(775年)5月14日条において、発見が報告されている。

14世紀の『十八史略』には、白虹が太陽を横切ってかかることを兵乱の前兆と考える記述があり、ここからことわざの「白虹(はっこう)日を貫く」が生じた。ReflectionRainbow(反射虹)過剰虹(干渉虹)
暗帯

主虹と副虹の間に見える空や風景は、虹に比べて相対的に暗くなる。特に後ろの雲が真っ黒でよどんだ空だと、暗い部分がはっきりと帯状に見える。これをアレキサンダーの暗帯(アレキサンダーのあんたい、: Alexander's dark band[18])あるいはアレキサンダーの帯という[19]。これは、4次散乱に極値があることと、3次、4次共に散乱光がやってこない領域があるためである[20]。これが主虹と副虹の間の領域となる[19]
反射虹

地表の水面などに反射した光が太陽光と同じように水滴内を通って反射すると、同じように虹ができることがある。これを反射虹という[21]。反射虹は直接光による虹よりも高い高度に表れる。高度が高いため虹の丸みが多くなる[21]。反射虹にも主虹と副虹がある。反射虹が描く円弧の中心は、直接光の虹とは異なるため、普通の虹と反射虹は同心円状にはならず、ずれて見える[21]
過剰虹

このほか、主虹の下側や副虹の上側に、さらに色のついた部分が淡く見えることがある。これを、余り虹(あまりにじ)、過剰虹(かじょうにじ)あるいは干渉虹(かんしょうにじ)という[22]。これは、水滴がある大きさになったときに、太陽光が干渉して弱め合ったり強め合ったりした結果、主虹の内側の接近したところに光が強め合う部分が存在するためである[23]ハワイで見られた月虹(Moonbow)
月虹詳細は「月虹」を参照

月の光でも同様に虹ができる。この場合は月虹(げっこう、: Moonbow)という。月虹は低空に明るい月があるなどの限られた条件でないと見られない。アリストテレスは「虹は昼間見えるが、夜にも月によって生ずる虹が見えることがある。ところが昔の人々は、そのようなものがあるとは考えていなかった。それは夜の虹はまれにしか見えないためである。(略)暗いところでは色が見えないし、多くの条件が一致しなければ見えない。その上、一か月のうち満月の一日だけに、月の出と月の入りのときにしか見られないからである。そこで我々は50年以上もの間に、ただ2回しか出会わなかった」と書いている[24]
虹の認識の歴史
虹「生き物」説

古代ギリシャでは紀元前300年頃まで、中国では西暦1000年頃まで、日本では西暦1200年頃まで「虹は生き物だ」と考えられていた。その後は多くの著者が「虹は生き物ではない」として「虹は生き物だ」と書く本は無くなった[25]。中国では「蛇=へび」「蛙=かえる」と同様に「むしへん」を用いて「虹」と書いた。虹には「霓(げい)」という文字でも虹を表した。「虹(こう)」は「オスの虹」で「霓(げい)」は「メスの虹」の意味だった[26]。また、古代中国の『礼記』の「月令」には「虹は3月に現れて10月に消える」という話が書かれていて、多くの本に引用されていた[27]。この場合、虹は春に発生して秋に姿を消す虫や蛇のように考えられていた。冬に雨が少ない地域ではこのような現象が見られたと思われる[28]。英語圏では「レインボウ」と呼ぶが、「レイン=雨」と「ボウ=弓」が結びついた言葉である。西洋でも東洋でも大昔から「にじは雨の子、雨の作り出すもの、雨が大好きな生き物」と思われていた。[26]
虹生き物説の否定

虹が生き物ではないことを証明したのは「虹が人工的に作れる」という事実の発見だった。中国では1100年頃に「虹は物理現象だ」とする考えが始まり、宋の沈括(1031年 - 1095年)は、『夢渓筆談』(1088)に「虹はすなわち雨中の日の影なり。日が雨を照らせばこれあり」と書いた[29]。宋の朱熹(朱子)(1130年 - 1200年)に代表される人々は「虹は太陽が雲に映った影だ」とした[28]。紀元前300年代のギリシャのアリストテレスは、人工的に虹を作る方法を知っていた[30]。アリストテレスは『気象論』の中で「虹は我々の視線が太陽に向かって反射するものである」と考え、虹の色は   赤、   青、   緑の三色で、赤と緑の間にはしばしば   黄色が現れると書いた[31]。中国でも1100年前後、日本でも1650年頃には人工的に虹を作り出す方法が知られていた。滝や噴水などの水しぶきで虹ができることに気がついたことがきっかけと思われる。日本では1268年頃に書かれた『塵袋』全11巻の巻1第3項に「日が西にあれば虹は東にあり。影の映りむかいて見ゆ」と虹の生き物説を否定した[32]。日本で初めて虹を人工的に作る方法を記したのは京都の醍醐に住んでいた医者の中川三柳(なかがわさんりゅう)(1614年 - 1684年)である[33]江戸時代の1714年に西川如見(1648年 - 1724年)が書いた本には「あるとき、数人の子どもたちが家の軒下で遊んでいましたが、そのうちの一人が「虹を作って遊ぼうよ」と言い出して、水をいっぱい口に入れてきました。そして斜めに差し込む日光に向かって、太陽を背にして、水をふきだし、霧のようにしました。その霧の中に虹が現れたので、みんなは喜んで代わる代わる虹を作って楽しんでいました。」とある[34]
スコラ学者の発見ディートリヒの虹の実験。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:97 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef