虐げられた人びと
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この項目では、フョードル・ドストエフスキーの小説について説明しています。マリアノ・アスエラの小説『虐げられし人々』については「マリアノ・アスエラ」をご覧ください。

虐げられた人びと
Униженные и оскорблённые
1893年版本のニコライ・カラジンによる挿絵
作者フョードル・ドストエフスキー
ロシア帝国
言語ロシア語
ジャンル長編小説
発表形態雑誌掲載
初出情報
初出『時代』1861年1月号-7月号
日本語訳
訳者小笠原豊樹
ウィキポータル 文学 ポータル 書物
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『虐げられた人びと』(しいたげられたひとびと、ロシア語: Униженные и оскорбленные)は、フョードル・ドストエフスキーの長編小説で、1861年にドストエフスキー自らが主宰する文学雑誌『時代』に創刊号から7回にわたり連載された。同時代の著名な批評家ニコライ・ドブロリューボフは「ドストイェーフスキー氏の長編は今の所本年度の文学の白眉となっている」[1]と、当時の文壇や読者からも好評であったことを伝えている。
概要.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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4部とエピローグからなる。本作品は、シベリア流刑後に『死の家の記録』と相前後して発表された本格的な長編小説で、『死の家の記録』がシベリア流刑体験を基にしているのに対して、この作品ではドストエフスキーのデビュー作品である『貧しき人びと』執筆直後の自身が下敷きにされている。その意味でこの長編はドストエフスキーの文学的出発点への立ち還りと再出発への強い意志が籠められた作品である。

本作は、二つの悲話が並行して進んでいく。一つは、物語の語り手「私」(イワン・ペトローヴィチ)の妹でもあるナターシャとその家族の悲話、そしてもう一つは少女ネリーとその家族をめぐる悲話である。この二つの悲話にはある共通点がある。それは娘が愛する男のために家族を裏切り破滅の淵にまで追いやるという点である。そして二つの悲話はワルコフスキー公爵という男を結節点にして次第に絡み合い、やがてクライマックスを迎える。

タイトルにある「虐げられた」人びとは、主として販売請負人、工場経営者などのブルジョア階級及び小地主である。それに対して、「虐げる」人ワルコフスキー公爵は大地主の貴族であり、こうしたブルジョア階級や小地主の人びとを踏み台にして社交界をずる賢く生き延びようとする人物である。それはまさに19世紀中頃のロシア上流社会を泳ぎ回っていたであろう金権と好色と出世欲にまみれた醜悪な諸々の「虐げる」人びとの凝縮された姿であるにちがいない。この人物像は後の『罪と罰』のスヴィドリガイロフ、『悪霊』のスタヴローギンへと連なる悪魔的人物の萌芽ともいえる。そして彼らの醜悪さとニヒリズムはロシアにおける封建的社会から市民社会への過渡期の社会状況を映し出すものとなっている。

「虐げられた」人びとはワルコフスキー公爵の狡猾な悪巧みに次第に追い詰められていくが、しかし彼らの気高い自尊と矜持の姿に、読むものは心を打たれる。とりわけ少女ネリーは、イギリスの作家チャールズ・ディケンズの『骨董屋』に登場する少女をモデルにして創作されたものといわれているが、その強靱な意志と純粋なけなげさには感動を禁じ得ない。第4部の橋の上の場面は黒澤明監督『赤ひげ』にも影響を与えたことが知られている。またナターシャも優しく傷つき易いが、その聡明さと芯の強さではワルコフスキー公爵に負けてはいない。

ただ本作に登場する女性は、いずれもナターシャやカーチャも含めてドストエフスキーの後の作品に登場する女性たちに見られるような気性の激しさや小悪魔性というものはまだ見られない。その点で、この作品はドストエフスキーの作品のなかでは、穏健で比較的読みやすい部類に属している。ただし第4部については、ドストエフスキー自ら「ずるずる引きずって印象を弱めてしまった」(1861年7月31日付[2])と友人ポロンスキーへの手紙でも述べているように、やや冗長でぎくしゃくした所がみられるのは否めない。しかし結果的にはそれが終盤のクライマックスの高揚感へとつながっているともいえる。
あらすじ
第1部

3月22日のこと、イワンは下宿先を探してペテルブルクの街を1日中歩き回ったが適当な所が見つからず、夕方なじみの喫茶店の前に戻ってくると、やせ細った老人が老犬を連れて喫茶店に入るのを目にする。イワンは、自分も喫茶店に入り、彼の様子を見ていた。老人は店に入っても何も注文せず、ただじっと前を見て座っているだけだったが、やがて客とトラブルになり、その騒ぎの間に老人の愛犬アゾルカが息を引き取る。老犬の死に、老人はショックを受けるが、死んだ犬を放置したまま店を出ていってしまう。

イワンは老人を追い掛けた。ほどなく道の片隅でうずくまっている老人を見つけ、声をかける。老人は、不意にイワンにすがりつくように手を伸ばす。その直後老人は倒れ、死んでしまう。最期に「ワシリエフスキー島、6丁目・・」の一言を残して。


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