ふじ まりこ
藤 真利子
本名藤原真理
別名義微美杏里
生年月日 (1955-06-18) 1955年6月18日(68歳)
出生地 日本・東京都
血液型A型
職業女優、歌手、作詞家、作曲家
ジャンル舞台、映画、テレビドラマ
活動期間1977年 - 現在
配偶者なし(独身)
著名な家族藤原審爾(父)
事務所プロダクション尾木
公式サイトプロダクション尾木 藤真利子プロフィール
受賞
日本アカデミー賞
優秀助演女優賞
1985年『薄化粧』
ブルーリボン賞
助演女優賞
1985年『薄化粧』
その他の賞
毎日映画コンクール
助演女優賞
1985年『薄化粧』菊田一夫演劇賞
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藤 真利子(ふじ まりこ、本名;藤原 真理、1955年6月18日 - )は、日本の女優、歌手、作詞家、作曲家。東京都出身。プロダクション尾木所属。不二聖心女子学院高等学校、聖心女子大学文学部歴史社会学科卒業。父は藤原審爾。血液型A型。 幼い頃は、父と客人が家中に響かせる麻雀の牌の音と、大きな笑い声を聞いて育つ[1]。やがて父が愛人を作って家を出て行ったため、4歳のとき、母と一緒に家を出て2人で暮らすようになる[1]。人気作家だった父には、映画監督や有名な女優が訪ねて来る環境のもとで生まれ育ったため、いつしか「女優になりたい」と思うようになった。中学校のすぐ隣に唐十郎のアングラ劇団「状況劇場(紅テント)」が借りていた家があり、奇抜な装いの俳優たちと生首などのおどろおどろしい小道具の山。それらにいざなわれるかのように高校では演劇部に[2]。そして大学4年のときに父からは猛反対されるも、女優の道へと進んだ[3]>[2]。 1977年TBS型ドラマ『文子とはつ』でデビューし[2]、その翌年1978年にフジテレビ系ドラマ「飢餓海峡」に、杉戸八重役で出演したことがきっかけで注目されるようになる[4]。この演技が認められ、その年のゴールデンアロー賞最優秀新人賞をはじめ、多くの新人賞を受賞している[4]。 父とは疎遠になっていたが、肝臓癌で余命半年ということを知って、仕事をすべてキャンセルし、残された時間を一緒に過ごすことを決意[4]。父の容態が急変し亡くなったのは、親子が再会してから10日後。亡くなる間際に、父が藤に残した言葉は、「君が輝いていたら、きっとまためぐり会えるだろう」。この言葉を胸に、女優として輝き続けることを誓った[4]。 2005年に最愛の実母が脳梗塞で倒れて要介護5の認定を受けるも、対応する病院が見つからず、自宅で介護することになり[1]、2016年11月に亡くなるまでの11年間は、生活の全てが母親の介護に明け暮れて、女優業はほぼ休業状態に陥り仕事が激減[1]。元々お嬢様女優でデビュー当時から高級ブランドの洋服などを買い漁るなどお金には全く不自由したことがなかったため、介護生活中には貯金も底をつきユニクロの服を買うのも高くて躊躇ってしまうなどお金に非常に苦労したという。
略歴・人物