ふじた としこ
藤田 淑子
プロフィール
本名藤田 淑子[1][2][3]
愛称トコちゃん[4]、おかるさん[5]
性別女性
出生地 中国・遼寧省大連市[6]
生年月日 (1950-04-05) 1950年4月5日
没年月日 (2018-12-28) 2018年12月28日(68歳没)
血液型O型[6]
職業声優、女優、歌手
事務所青二プロダクション(最終所属)[7]
配偶者なし(生涯独身)
公式サイト藤田 淑子|株式会社青二プロダクション
公称サイズ(時期不明)[8]
身長 / 体重159[6] cm / 46 kg
声優活動
活動期間1960年代 - 2018年
ジャンルアニメ、ゲーム、吹き替え、ナレーション
デビュー作『ビル船長(英語版)』[4][9]
女優活動
活動期間1950年代 - 2010年代
ジャンルテレビドラマ、映画、舞台
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藤田 淑子(ふじた としこ、1950年〈昭和25年〉4月5日[5][9] - 2018年〈平成30年〉12月28日[10])は、日本の声優、女優、歌手。中華人民共和国遼寧省大連市出身[6][11]。青二プロダクション最終所属[7]。別芸名:藤田 とし子[5]。 7人兄弟の一番下[12]。父は電話技師で戦後9年間は中国で電話技術の指導者だったが、帰国後は日本電信電話公社に就職していた[9]。小学1年生の時、芝居の仕事が好きで自分ではできなかった一番年上の姉が児童劇団の募集広告を見て、藤田に「やらせよう」ということで、父の反対を押し切って、内緒で児童劇団に申し込んだことがきっかけで芸能界に入る[3][4][9][13]。人前で何かをやることが嫌いであり、体が虚弱で小児リウマチになっており、幼いころから鍼や湯治に行っていたが、芸能の仕事をしてからは元気になったという[12]。小学校時代は成績はバツグンで4、5年生の時はオール5だったという[12]。しかし中学校進学後、どんどん落ちてきてしまったという[12]。芸能の仕事は子供の頃は遊びに行っているようなものだったことから楽しかったという[12]。仕事という意識はあまりなかったが、子供心にも人物に代わってもらえないことから「休めない」という気持ちはあったという[12]。 6歳の頃から子役としてラジオやテレビで活動をしており、女優、歌手、そして声優という幅広い芸歴を持つ[10][12]。初めての声の仕事は、小学4年生の時の『ビル船長
生涯
生い立ち
キャリア
精華学園女子高等学校(現・東海大学付属市原望洋高等学校)[14]に進学した時、初めて自分の将来について真剣に考えて、「これまでは女優になろう」と思い、放送の仕事をしてきたわけではなく、姉に連れられて児童劇団に入団[9]。なんとなく楽しいことばかりであり、「遊び半分に仕事を続けてきたにすぎない……」といい加減さに気がついたという[9]。そこで改めて、「女優を自分の一生の仕事にしよう」と決意し、高校在学中には早野寿郎の私塾・面壁塾に通い芝居の基礎を学ぶ[9]。1968年のテレビドラマ『夏のわかれ』出演は2010年『明日の光をつかめ』の広瀬アリスが更新するまで昼ドラ主演最年少記録であった。なお、歌謡曲歌手としての活動経験もある関係でアニメの主題歌などを歌うケースも多い。
子役時代から活動してきたために子役のイメージが抜けず、「じゃ、いっそ歌うたって、しばらく芸能活動のうち芝居はやめちゃったほうがいいんじゃないかな」と思って、7、8年くらいは、声の仕事を一切していなかったという[4]。詩の朗読などの仕事はしていた[3]。ポピュラー、ジャズと歌の世界で5年ほど仕事していた頃、長門裕之に出会って「役者の仕事に戻るのなら、今だよ」と声をかけてもらい、再び女優に専念することを決意[9][13]。久しぶりの仕事が、1975年 、『一休さん』の一休役だったという[4][9]。