藤沢町_(神奈川県)
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藤沢町
廃止日
1940年
廃止理由市制施行
藤沢町→ 藤沢市
現在の自治体藤沢市
廃止時点のデータ
日本
地方関東地方
都道府県神奈川県
高座郡
藤沢町役場
所在地神奈川県高座郡藤沢町
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藤沢町(ふじさわまち)は、かつて神奈川県高座郡に存在した

現在の藤沢市の前身にあたる。1908年(明治41年)4月1日に高座郡藤沢大坂町鵠沼村明治村が新設合併し発足、1940年(昭和15年)10月1日に市制施行し藤沢市となった。本記事では、藤沢町時代の情勢について、文献で紹介されている事柄を示す。
目次

1 地理

2 人口

3 政治・行政

3.1 歴代町長


4 経済

4.1 産業


5 交通

6 出身・ゆかりのある人物

6.1 政治・経済

6.2 学術

6.3 芸能


7 脚注

8 参考文献

地理

1938年(昭和13年)刊の『神奈川県勢総覧』(内外新聞通信社)に、『本町は郡の東南端、県の中央南部に位し、東は鎌倉郡の片瀬町村岡大正の1町2ヶ村の北は六会村、西は茅ヶ崎町、小田村に隣接し、南は相模湾に面している』との記述がみられる[1]
人口

1912年末の戸数・人口は、2255・16160[2]
政治・行政
歴代町長

この節は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2018年1月)


松良夫

金子角之助[3]

湯原直平

隈川基

一木與十郎

大野守衛

経済
産業

『神奈川県勢総覧』に『商業を第一とし農業、工業、その他の順で生計を営んでいる』との記述がある[1]

以下に、1926年(大正15年)刊の『武相のぞき』(荒井酒竹著、武相大観社)に『主もなる官公署、銀行、会社、商家、有力筋』として紹介された名と、1940年(昭和15年)刊の『日本紳士録 第44版』(交詢社編)に掲載された名を示す。
商工業



青木忠平(青物、乾物[3]

藤野森好(青物、乾物)[3]

尾島正吉(牛豚ハム製造)[3]

榎本市右衛門(米穀)[3]

今井治兵衛(米肥)[3]

飯塚東作(米肥木炭)[3]

大澤倫、大澤利七(材木商)[3]

寺田忠義(材木商)[3][4]

寺田三郎兵衛(稲元屋丸三呉服店)[4]

小塚寅吉(洋品商)[3]

青木保太郎(土木建築業者)[3]

斎藤清右衛門(製茶)[3]

平野藤右衛門(酒造業)[3]

鈴木竹次郎(甘藷問屋)[3]


店・企業


東海醤油[3]

大日本醸造[3]

藤沢製麦倉庫[3]

藤沢物産[3]

相模製粉[3]

金融機関


関東銀行支店[3]

駿河銀行支店[3]

県農銀行[3]

横浜銀行支店[3]



交通

『神奈川県勢総覧』に、『国道は町の中央を東西に横断して厚木、岡田、町田、大船、鎌倉江ノ島辻堂の各府県道は本町を起点として県下の各重要市町村に通じている』と記されている[1]
出身・ゆかりのある人物
政治・経済

植村伊知郎(神奈川県多額納税者、
地主[5]

上郎新二(神奈川県多額納税者、地主[5]、政治家・神奈川県会議員) - 横浜の資産家上郎幸八の長男。

金子小一郎(政治家) - 藤沢市長。藤沢町長・金子角之助の長男。

平野友輔(医師、政治家) - 衆議院議員。

学術

前田愛(国文学者、評論家)

芸能

徳山たまき(歌手)

脚注^ a b c『神奈川県勢総覧』29-30頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。


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