藤沢カントリー倶楽部
旧・藤沢カントリー倶楽部クラブハウス
通称・グリーンハウス
所在地 日本
神奈川県藤沢市
座標: 北緯35度21分35秒 東経139度28分30秒? / ?北緯35.35972度 東経139.47500度? / 35.35972; 139.47500
藤沢カントリー倶楽部(ふじさわカントリーくらぶ)は、かつて神奈川県藤沢市にあったゴルフ場。 昭和初期の不況対策の一環で設立された。 クラブハウスは、アントニン・レーモンド設計で、屋根瓦が緑色だったことから「グリーンハウス」と呼ばれ、神奈川県立体育センター合宿所として現存。 女性専用コース「メリーゴルフ倶楽部」が、一時期併設された。 藤沢ゴルフ株式会社が、当時の藤沢町御殿山(現在の藤沢市善行)に191,709坪の土地を497,590円で買収し、石井光次郎、堀米庸之介、田中善三郎、赤星四郎(赤星六郎の兄)をコース建設委員とし、セント・アンドリュースを設計したゴルフコース設計者チャールズ・ヒュー・アリソン
概要
歴史
1930年(昭和5年)3月19日 - 横浜の政財界人により、藤沢ゴルフ株式会社設立発起人会が開かれる。
4月 - 藤沢ゴルフ株式会社設立(資本金50万円)。株主のみを会員として藤沢カントリー倶楽部が発足。
9月 - 杉山雅則(レーモンド設計事務所)が設計を開始。
1931年(昭和6年)2月 - チャールズ・ヒュー・アリソンが実施踏査の上、コース設計に対して意見具申。
3月 - 設計が完了。
5月 - 起工。藤沢町の長工務所が建設。
10月18日 - 9ホール仮オープン。
1932年(昭和7年)4月 - 竣工。
5月29日 - 開場。久邇宮朝融王、鳩彦王妃允子内親王(朝香宮鳩彦王妃)が来場し、多数の著名ゴルファーが招待される。
1933年(昭和8年)10月2日 - 10月4日 - 日本プロゴルフ選手権大会が行われる。
1934年(昭和9年)11月16日 - ベーブ・ルースが、赤星四郎とともにプレイする。
1937年(昭和12年) - 関東クラブ対抗競技が行われる。
1938年(昭和13年)10月11日-10月13日 - 日本オープンゴルフ選手権競技が開催される。
1943年(昭和18年)10月24日 - 閉鎖する。後に、同地周辺は藤沢飛行場となり、戦後は藤沢翔陵高等学校や、東京五輪でのサッカー日本代表合宿所となった。
外部リンク
⇒文書館だより12号 - 藤沢市文書館
⇒旧藤沢ゴルフクラブクラブハウス - 横浜近代建築アーカイブクラブ
⇒旧藤沢ゴルフ倶楽部[リンク切れ] - 風呂屋の煙突
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更新日時:2015年4月28日(火)10:00
取得日時:2016/07/09 08:19