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ふじむら しんいち
藤村 新一
生誕 (1950-05-04) 1950年5月4日(74歳)
日本・宮城県加美郡中新田町(現・加美町)
別名神の手(ゴッドハンド)
出身校仙台育英高等学校卒業
職業考古学研究者
肩書きNPO法人「東北旧石器文化研究所」元副理事長
罪名旧石器捏造事件
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藤村 新一(ふじむら しんいち、1950年(昭和25年)5月4日 - )は、日本の元考古学研究者。特定非営利活動法人「東北旧石器文化研究所」元副理事長。
発掘に携わった遺跡から次々と「新発見」をしたことから「神の手(ゴッドハンド)」と呼ばれ、脚光を浴びたが、後に自作自演によるものだったことが判明した旧石器捏造事件を引き起こした人物として知られる。捏造発覚後再婚し、妻の苗字を名乗っているため、藤村は旧姓である。宮城県出身。 1950年、加美郡中新田町(現・加美町)生まれ[1]。子供時代に土器を拾い、古代に憧れを持つ[1]。仙台育英高等学校卒業後、東北電力子会社の東北計器工業へ就職。工員時代に考古資料に興味を持つようになり、休日を利用して石器収集を始め、1973年には「宮城県古川市馬場壇発見の文字瓦」(共著、『遮光器』7、pp.18-21、みちのく考古学研究会)において線刻文字瓦を資料紹介した。翌1974年(昭和49年)以降は、江合川流域の石器を中心とした踏査を始め、1975年(昭和50年)にはこの時の仲間を主力とする石器文化談話会が結成され、石器探しの名人として活動した。発見効率が驚異的に高いことから、仲間内では「神の手」の異名を馳せた。 日本の旧石器時代史の争点であった前期・中期旧石器時代の遺跡を「発見」し、1992年(平成4年)には民間の東北旧石器文化研究所設立に参加、同年9月、在野の考古学研究者を対象にした相沢忠洋賞(第1回)を受賞(事件後返上)した。また、1995年(平成7年)には東北旧石器文化研究所も同賞(第4回)を受賞(事件後返上)した。秩父原人の遺構を発見した功績により、埼玉県知事より表彰もされた(のちにこれも捏造と発覚)[1]。1999年(平成11年)に会社を退職し、同研究所職員となる。同研究所は2000年(平成12年)8月には、特定非営利活動法人として認証(2004年1月解散)され、副理事長として活動した。 後述の捏造事件発覚まで、藤村は旧石器時代の上限を十万年単位で遡らせるとされた発見・研究報告を次々とあげ、日本の前期・中期旧石器時代研究のトップグループの一人と見なされていた。 発見効率のあまりの良さや発見の様態が不自然であるとする意見、藤村をはじめとする東北旧石器文化研究所の「業績」への疑義等は元からあったが、学会では少数派であり、考古学界はこうした意見をほとんど軽視、または傍観してきた。藤村が所属する団体の調査結果に疑念を抱く考古学関係者もいたが、そのことを指摘する人は少なかった。 発掘現場での藤村の不審な行動に疑念を持った人からの情報提供に基づき、毎日新聞北海道支社がチームを編成しての取材に着手した。発掘の現場に張り込みを行い、藤村があらかじめ石器を遺跡に埋め込み仕込んでいる様子の写真・ビデオ撮影に成功した。その後、本人への直接の取材と捏造の確認を経て、2000年11月5日の朝刊で報じた。それが発端となり、それまでの業績のほとんどが捏造であることが判明し、日本からは確実といえる前期・中期旧石器時代の遺跡が消滅した。このため、過去四半世紀に及ぶ日本の前期・中期旧石器時代研究のほとんどが価値を失い、周知の遺跡(埋蔵文化財包蔵地)の抹消・検定済教科書の書き直しなど、多大な影響が生じた。彼が捏造にかかわった遺跡は宮城県が中心であるが、調査の指導などで呼ばれた北海道から関東地方まで広い範囲で捏造を行っていた。 藤村に対する告発も検討されたが、現行法では罪に問うのは難しいとして見送られた。2003年(平成15年)に福岡県の考古学者が偽計業務妨害の疑いで告発したが、仙台地方検察庁は証拠不十分として不起訴処分にした。
来歴
旧石器捏造事件「旧石器捏造事件」も参照