実業家の「藤本勝司」とは別人です。
藤本 勝次人物情報
生誕 (1921-07-04) 1921年7月4日
日本 大阪府大阪市
死没2000年2月18日(2000-02-18)(78歳)
出身校京都帝国大学文学部東洋史学科
学問
研究分野中東イスラーム学
研究機関関西大学文学部
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藤本 勝次(ふじもと かつじ、1921年7月4日 - 2000年2月18日[1])は日本の中東イスラーム学者、専攻は中世イスラム文化史。 大阪府大阪市生まれ。京都帝国大学東洋史学科でアラビア語を学ぶ。 関西大学文学部教授を兼ね、1975年4月から1982年9月までの間、関西大学東西学術研究所
経歴
池田修、伴康哉
とともにクルアーン全文を日本語訳している。井筒俊彦による翻訳や日本ムスリム協会版とは異なり、登場する聖書由来の人名は原音にこだわらず、「イエス」「マリア」といった既に日本語訳聖書などで定着していた表記を用いている。2000年2月18日、脳梗塞のため死去[1]。 大学を卒業して軍隊に入ったとき、せっかくアラビア語を学んだのだから、ムスリムの住むマレー半島やジャワ島・スマトラ島に派遣してもらおうと頼んでみたが、聞いてもらえず結局中支戦線
エピソード
著訳書
著書
『マホメット ユダヤ人との抗争』中央公論社〈中公新書〉、1971年
『中東をめぐる諸問題』晃洋書房、1985年
訳書
著者複数『シナ・インド物語』 関西大学出版部〈東西学術研究所訳注シリーズ1〉、1976年
ブズルグ・イブン・シャフリヤール『インドの不思議』 関西大学出版部〈東西学術研究所訳注シリーズ2〉、1978年
ウサーマ・ブヌ・ムンキズ『回想録』 関西大学出版部〈東西学術研究所訳注シリーズ3〉、1987年
イブン・ジュバイル『旅行記』 池田修共訳、関西大学出版部〈東西学術研究所訳注シリーズ6〉、1992年、講談社学術文庫、2009年7月
『コーラン』伴康哉・池田修共訳
中央公論社〈世界の名著15〉、1970年
中央公論社〈中公バックス・世界の名著17〉、1979年
中央公論新社<中公クラシックス 全2巻>、2002年
解説は『聖典』<中公クラシックス・コメンタリィ>に所収、2008年6月
記念論集
『藤本勝次先生 加藤一朗先生古稀記念 中近東文化史論叢』(同記念会編、1992年)
脚注^ a b 『現代物故者事典2000?2002』(日外アソシエーツ、2003年)p.534
^ 「コーランと私」『世界の名著 15 コーラン』8頁
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