藤川桂介
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藤川 桂介
誕生伊藤 英夫
(1934-06-16)
1934年6月16日(89歳)
日本東京都
職業脚本家小説家放送作家
活動期間1958年-(脚本)、1984年-(小説)
ジャンルアクション、特撮、ファンタジー
代表作宇宙皇子
デビュー作『東京零時刻』(脚本)
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藤川 桂介(ふじかわ けいすけ、本名:伊藤 英夫(いとう ひでお)、1934年6月16日 - )は、日本の男性脚本家小説家放送作家日本文芸家協会日本ペンクラブ、日本脚本家連盟会員。京都嵯峨芸術大学客員教授。

東京都出身。東京都立墨田川高等学校慶應義塾大学文学部国文学科卒(1958年)。
概要

1960年代中盤から1970年代中盤までは実写のアクション番組や特撮物の脚本家として、1970年代から1980年代はテレビアニメーションの脚本家として活躍した。1980年代中盤以降は、活動の中心を小説の執筆に当てている。代表作に、テレビアニメーション『マジンガーZ』、『六神合体ゴッドマーズ』、『宇宙戦艦ヤマト』、小説『宇宙皇子』シリーズなど。漫画原作に『さすらいの太陽』など。特撮番組に『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』、『突撃! ヒューマン!!』、『サンダーマスク』などがある。

脚本家の武上純希は、弟子筋にあたる(ただし、武上はそれを否定している)。その他、寺田憲史や、田村丸といった脚本家を育成してきた。

学生時代に脚本家の水木洋子に出したファンレターへの返事をもらえた感激が忘れられず、ファンレターには返事を出すように心がけているという。
経歴

そば屋の老舗「長浦」に長男として生まれ、高校時代から文筆業に憧れる[1]慶應義塾大学では放送研究会に属して、ラジオドラマ全日本コンクール脚本賞関東大会に3年連続で入賞を果たした[2][1]。放送研究会の同期には、のちにウルトラシリーズの仕事で再会する大伴昌司の姿も。1958年には慶大の文学部を卒業するが、当時はなべ底不況の最中。コネクション頼りで映画会社の東宝を受験したものの、その年度は文芸部の募集をしていないため不合格となる。実家からは勘当されて無職同然のまま、田園調布の安アパートで餓死寸前の極限状況に追い込まれるも、その時の様々な体験は、のちの作家生活において貴重な財産となった。勘当されて半年後に、大学時代の親友が福岡市のRKB毎日放送へと入社したことで、同局のラジオ放送における音楽番組の構成台本にて辛くもデビューを果たす[2][1]。その後もしばらくは、地方局でのラジオ番組の仕事を細々とこなす構成作家であった。やがて、慶應義塾大学の先輩でもありTBS演出部に所属していた飯島敏宏(放送研究会の先輩でもあった)の紹介で、実写のテレビシリーズへと参入[2][1]。最初は、同局の推理アクションドラマ『日真名氏飛び出す』にて西島大や久板栄二郎といった脚本家の原案作りを担当しながら、1958年には『東京零時刻』にてテレビドラマでも脚本家デビューを果たす[2][1]。『月曜日の男』では、若槻文三と共にローテーションの一角を担い、以後も『オレとシャム猫』『木下恵介アワー』などの番組で順調にキャリアを重ねていった[2][1]


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