藤崎竜
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ふじさき りゅう藤崎竜
生誕 (1971-03-10)
1971年3月10日(53歳)[1][2]
日本青森県むつ市(旧下北郡川内町)
職業漫画家
イラストレーター
活動期間1990年 -
ジャンル少年漫画
青年漫画
SF漫画
ファンタジー漫画
サスペンスホラー漫画
受賞第39回手塚賞佳作:ハメルンの笛吹き
第40回手塚賞準入選:WORLDS
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藤崎 竜(ふじさき りゅう、1971年3月10日[1][2] - )は、日本漫画家イラストレーター男性。身長173cm[1]血液型はA型[1]。初期の頃のペンネームは漢字表記は同じだが、読みが「ふじざき りゅう」だった。愛称は「フジリュー」と「プティタキテュー」。青森県むつ市(旧下北郡川内町)出身。工学系専門学校卒。
来歴

小学校3 - 4年生の頃に、車田正美の『リングにかけろ』をきっかけに漫画を読むようになり、気がついたら絵を描かけるようになっていた[2]

幼い頃からパソコンに親しむ。10代の頃はコンピュータのシステムエンジニアを志望し専門学校に通っていた。

高校在学中の16歳頃にオリジナル漫画を初めて製作し、雑誌の漫画賞に応募して最終選考に残る[2]

1990年、自分が漫画界に通用するかを試すための「実験」として製作した『ハメルンの笛吹き』を『週刊少年ジャンプ』に投稿したところ、第39回手塚賞の佳作を受賞し、それをきっかけに漫画家を目指すようになる[3]。同年、再び『週刊少年ジャンプ』に応募した『WORLDS』が第40回手塚賞に準入選し、『ジャンプ』増刊号に掲載されデビューした。デビュー後、3本の読切漫画が『週刊少年ジャンプ』本誌および増刊に掲載される。

1992年、3年制の専門学校を卒業して上京[2]。在学中は就職活動をしており、採用通知も来ていたものの漫画家になるために断った[2]。読切漫画をまとめた初の単行本、短編集『WORLDS』を出版する。同年末には『週刊少年ジャンプ』で『PSYCHO+』を初連載するが、短期間で打ち切り終了。その後、3年間は読切漫画を増刊に3本発表するにとどまる。

1996年に『週刊少年ジャンプ』で、連載開始した『封神演義』は人気作となり、1999年にはアニメ化された。2000年に完結。

2002年に『週刊少年ジャンプ』にて『サクラテツ対話篇』、2004年に『W?qw?q』を連載するが、共に支持を得られず打ち切りとなる。その後の2005年は増刊『ジャンプ the REVOLUTION!』にて読切作品『天球儀』が掲載された。

2006年には初の画集『藤崎竜イラスト集1990-2006 PUTITAKITYU』を発売。同年、バンダイの食玩『共生魔神ぐりりんパンチャー』のメカ・キャラクターデザインを担当し、『Vジャンプ』11月号に販促用の読切漫画を掲載した。

2008年から月刊漫画誌『ジャンプスクエア』1月号にて小野不由美原作のホラー小説屍鬼』を漫画化し、連載を開始。2010年にはアニメ化された。2011年に連載終了。並行して角川ビーンズ文庫ライトノベル『風水天戯』の挿絵も手がける。

2012年、ジャンプスクエアとその季刊誌に、自身が原作を担当[注 1]した読切漫画を3本発表。同年末には、『ミラクルジャンプ』No.12に読切漫画『アメとサルタヒコ』を発表。

2013年、『週刊ヤングジャンプ』32号より、『アメとサルタヒコ』の設定をアレンジした『かくりよものがたり』の連載を開始。2014年に第一幕了(事実上の打ち切り)。

2015年、『週刊ヤングジャンプ』45号より、田中芳樹原作SFライトノベル[4]銀河英雄伝説』を漫画化し、連載を開始する。
人物

自画像道化師をデフォルメしたような姿で、作品ごとに微妙にデザインを変えている。例外として、漫画家デビュー初期の単行本『WORLDS』のカバー折り返しには、眼鏡をかけたドラゴンが自画像として描かれている。

単行本のおまけページに、藤崎の思考を垣間見ることができる。週刊少年ジャンプ時代の単行本には、あとがき漫画「断崖絶壁今何処(だんがいぜっぺきいまいずこ)」と、『封神演義』以降の単行本には、余白部分に随筆風文章の「駄文(だぶん)」のコーナーを載せていた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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