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凡例藤堂高通
時代江戸時代前期 - 中期
生誕寛永21年11月7日(1644年12月6日)
死没元禄10年8月9日(1697年9月23日)
改名学助(幼名)、高通
諡号任口
戒名勝光院松月竜吟大居士
墓所三重県津市寿町の寒松院
官位従五位下、佐渡守
幕府江戸幕府
藩伊勢国久居藩主
氏族藤堂氏
父母父:藤堂高次
母:多羅尾光誠の娘・浄明院(於振)
兄弟高久、高通、高睦、高堅
妻正室:黒田長興の娘・彦子(清光院)
側室:橋本氏(智鏡院)
子岩之助、学助、高敏、万助、清、栗、
養子:高堅
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藤堂 高通(とうどう たかみち)は、江戸時代前期から中期の大名。伊勢久居藩の初代藩主。久居藩藤堂家初代。 寛永21年(1644年)11月7日、伊勢津藩主・藤堂高次の次男として津城で生まれる。藤堂高虎の孫にあたる。 万治2年(1659年)12月に従五位下、佐渡守に叙任する。寛文3年(1663年)、父から1万石500人扶持を与えられた。寛文9年(1669年)9月29日、兄の高久から伊勢11郡5万石を分与されて、津藩の支藩である久居藩を立藩し、その初代藩主・城主格となった。後に久居陣屋を築塁している。 藩政においての治績はあまり見られないが、歌道に優れていたため、北村季吟・北村湖春親子や西山宗因らを招聘し、藩の文治発展に尽くした。著書に『久居八百五十韻』がある。久居藩祖 藤堂高通藤堂高通の墓(津市・寒松院) 父母
生涯
系譜
藤堂高次(父)
多羅尾光誠
正室
黒田彦子(清光院) ? 黒田長興の娘
側室
橋本氏(智鏡院)
子女
藤堂岩之助
藤堂学助
藤堂高敏(三男)生母は橋本氏(側室)
藤堂万助
清
栗
子女
藤堂高堅 ? 実弟
参考文献
梅原三千『藤影記』藤影会事務所、大正11年(1922)。
表
話
編
歴
藤堂氏久居藩初代藩主 (1669年 - 1697年)
藤堂高通1669-1697
藤堂高堅1697-1715
藤堂高陳1715-1723
藤堂高治1723-1728
藤堂高豊1728-1735
藤堂高雅1735-1762
藤堂高敦1762-1770
藤堂高朶1770-1775
藤堂高興1775-1777
藤堂高衡1777-1781
藤堂高矗1781-1790
藤堂高兌1790-1806
藤堂高邁1806-1818
藤堂高?1818-1832
藤堂高聴1832-1863
藤堂高邦1863-1871
廃藩置県