藤城清治
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藤城 清治
誕生日 (1924-04-17)
1924年4月17日(100歳)
出生地 日本 東京都
国籍 日本
教育慶應義塾大学経済学部
受賞紫綬褒章勲四等旭日小綬章ブラチスラヴァ国際絵本原画展(金のリンゴ賞)、厚生省児童福祉文化奨励賞、文化庁芸術祭 優秀賞、児童文化特別功労賞(日本児童文芸家協会)等
ウェブサイト ⇒http://www.seiji-fujishiro.com/
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藤城 清治(ふじしろ せいじ、1924年大正13年〉4月17日 - )は、日本の影絵作家。キャラクター「ケロヨン」の原作者としても知られる。東京府東京都)出身・目黒区在住。ホリプロ(同社も目黒区に所在)とマネジメント契約を結んでいる。
年譜
出生-1940年代

1924年大正13年)、東京に生まれる。3人きょうだいの末っ子(兄と姉がいる)。父は三菱銀行に勤務する銀行員、母は元小学校教員。幼少時より、画才を認められる。

1936年昭和11年)、12歳の時に慶應義塾普通部(旧制)入学。仙波均平に水彩画、エッチング、油絵の指導を受ける。この頃、先輩の縁で、猪熊弦一郎のアトリエに出入りし、モダニズム絵画に影響を受ける。

1940年(昭和15年)、慶應義塾大学経済学部予科入学。児童文化研究会の公演にて人形劇と出会う。

1943年(昭和18年)、海軍予備学生となり、翌年に20歳で少尉任官、九十九里浜沿岸防備に就くも、赴任地で指人形を使い少年兵らと共に慰問演芸会を行う。

1946年(昭和21年)、慶應義塾大学復学(大学2年)。講師の小澤愛圀(よしくに)により、人形劇・影絵を知る。人形劇と影絵の劇場「ジュヌ・パントル」を結成(「ジュヌ・パントル」は後年、「木馬座」と名称変更)。

1947年(昭和22年)、慶應義塾大学経済学部卒業。東京興行(現:東京テアトル)入社、宣伝部勤務。テアトル銀座、銀座全線座のパンフレットを編集、淀川長治双葉十三郎の影響を受ける。

1948年(昭和23年)、花森安治の雑誌「暮しの手帖」にて、影絵連載開始[注釈 1]。慶應・三田演説館にて影絵劇上演。

1950年代

1950年(昭和25年)、初の影絵絵本『ぶどう酒びんのふしぎな旅』出版 衣裳研究所。滝山千代と結婚、1女を儲ける[2]

1951年(昭和26年)、芥川也寸志音楽による人形音楽劇『雪の女王』制作(銀座交詢社ホール、生演奏による上演)。テアトル東京を辞職、フリーとなる。

1952年(昭和27年)、アサヒビール系ビヤホールに影絵ガラス壁画を制作(銀座ピルゼン他)。NHK、テレビの試験放送開始。NHKの専属となる。

1953年(昭和28年)、朝日新聞日曜版紙面にて、影絵連載。伊福部昭音楽による影絵劇『せむしの子馬』を制作(銀座交詢社ホールにて伊福部指揮の生演奏による上演)。

1954年(昭和29年)、児童文化誌「絵本木馬」を創刊(14号まで発行)。影絵劇『泣いた赤鬼』にて東京都児童演劇コンクール奨励賞(DVD「藤城清治 つるの恩がえし/泣いた赤鬼」 ASIN B000S00LT2)。

1956年(昭和31年)、影絵劇『銀河鉄道の夜」にて、1956年度国際演劇参加読売児童演劇祭奨励賞、日本ユネスコ協会連盟賞受賞(DVD「藤城清治 銀河鉄道の夜」 ASIN B000P5FY2O)。

1958年(昭和33年)、「中央公論」連載の『西遊記』(邱永漢作)の挿絵を担当(1962年まで)。

1960-1970年代

1960年(昭和35年)、影絵劇『海に落ちたピアノ』初演(大阪毎日ホール)。影絵画集「影絵」出版(東京創元社)。

1961年(昭和36年)、劇団木馬座による等身大ぬいぐるみ人形劇を創案。

1962年(昭和37年)、木馬座と共同でみんなのうたで、雪とこどものアニメーションを制作。

1966年(昭和41年)、『木馬座アワー』のキャラクターとして、「ケロヨン」を創作。日本テレビ『木馬座アワー』を自主提供。12月、日本武道館にて、第1回ケロヨンショーを開催[注釈 2]

1971年(昭和46年)、東京12チャンネルにて『ベーバック』放映。この年の木馬座武道館公演が混乱し、問題となる。

1972年(昭和47年)、公演の混乱等の諸問題によって「木馬座」を離れる。影絵・人形劇公演自体は「ジュヌ・パントル」として、活動を継続。

1974年(昭和49年)、「暮しの手帖」の影絵連載を、カラー影絵に変更して連載継続。

1977年(昭和52年)、『藤城清治影絵画集』出版(講談社)。

1978年(昭和53年)、花森安治死去。後を継ぎ「暮しの手帖」の表紙を描く。

1980年代

1980年(昭和55年)、影絵劇『シャクンタラー姫』が厚生省児童福祉文化奨励賞受賞[3][4]

1981年(昭和56年)、影絵画集『イエス』出版(日本基督教団出版局、制作期間3年)。

1982年(昭和57年)、国際交流基金の派遣による文化親善使節に任命され、パキスタン、ヨルダン、エジプト、アラブ首長国連邦等で影絵劇上演。影絵劇『銀河鉄道の夜』が第37回文化庁芸術祭で優秀賞受賞(DVD「藤城清治 銀河鉄道の夜」 ASIN B000P5FY2O)。[5]

1983年(昭和58年)、絵本『銀河鉄道の夜』がチェコスロバキアブラチスラヴァ国際絵本原画展で金のリンゴ賞受賞(絵本「銀河鉄道の夜」ISBN 4062003953 )。『藤城清治影絵の世界・シルエットアートその作品と技法』出版(東京書籍)。

1986年(昭和61年)、『藤城清治影絵劇の世界・シルエットプレイその歴史と創造」出版(東京書籍)。

1989年平成元年)春、紫綬褒章受章[6]。「鐘崎笹かまメルヘン館大壁画」制作(仙台市)。

1990年代

1990年(平成2年)、影絵劇『幻想列車』制作上演(長崎「旅・博覧会」)。

1991年(平成3年)、影絵画集『天地創造』出版(日本基督教団出版局、制作期間11年)。影絵劇『森のメヌエット』制作上演(北九州博覧会)。

1992年(平成4年)、「藤城清治影絵美術館」開設(山梨県昇仙峡)。

1993年(平成5年)、影絵劇『夢ふたたび月へ』[7]制作上演(信州博覧会)。


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