藤原親孝
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 凡例藤原親孝
時代平安時代中期
生誕不明
死没不明
官位右兵衛尉
主君源頼信
氏族藤原北家利仁
父母父:藤原貞正
兄弟正重、親孝ら
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藤原 親孝(ふじわら の ちかたか)は、平安時代中期頃の武士藤原北家利仁流、藤原貞正の子。
略歴

源頼信の家来で乳母子でもあった。官は兵衛尉だった。上野介に任じられた源頼信の下で上野国に赴任したことがあった。

性格はやや小心者だったらしく、上野国に赴任していた時、自分の子が盗人に人質にとられた事件が起き、源頼信に泣きながら助けを求めた。源頼信からは、「我が身を思い、妻子の身を思っては、万事の後れをとることになる。よって、兵の道をたてるにはそうした未練を断ち切らねばならん云々」と諌められたという逸話が『今昔物語』にある[1]

なおこの事件では、源頼信は自ら出向き、盗人に対峙し自分を信じられるならば投降せよと迫り、事件を解決した。
脚注^ 『今昔物語集』巻25第11(『日本古典文学全集』23)

出典

『マンガ日本の歴史K-傾く摂関政治と地方の社会-』(
石ノ森章太郎画。中央公論新社


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