藤原綱手
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藤原 綱手(ふじわら の つなて、8世紀 - 天平12年11月1日740年11月24日))は、奈良時代の廷臣・武人。藤原式家の祖である参議藤原宇合の四男(あるいは五男)。無官位、一説に内舎人

生年は霊亀2年(716年) - 養老6年(722年)頃と推測されている。天平12年(740年)北九州において長兄藤原広嗣の反乱に加わり、筑後国・肥前国等の5000の兵を率いて豊後国から進軍する[1]。しかし乱は大野東人率いる官軍によって敢えなく鎮圧され、捕虜となった綱手は、同年11月1日に肥前国松浦にて広嗣ともども誅殺された[2]。(藤原広嗣の乱
系譜

父:
藤原宇合

母:不詳

妻:秦朝元の娘

男子:藤原菅継(?-791)


生母不詳の子女

男子:藤原菅成[3]


脚注^続日本紀』天平12年10月9日条
^ 『続日本紀』天平12年11月5日条
^ 宇治谷[1995: 402]

参考文献

宇治谷孟『続日本紀 (中)』講談社学術文庫、1995年


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