藤原真従
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 凡例藤原真従
時代奈良時代
生誕不詳
死没750年代前半?
官位従五位下中務少輔
主君聖武天皇
氏族藤原南家仲麻呂流
父母父:藤原仲麻呂、母:藤原宇比良古藤原房前の娘)
兄弟真従、真先訓儒麻呂朝狩小湯麻呂刷雄薩雄辛加知執棹、真文、徳一、児従、東子、額
粟田諸姉(後の淳仁天皇の妃)
子藤原広河室
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藤原 真従(ふじわら の まより)は、奈良時代貴族藤原南家藤原仲麻呂の長男[1]官位従五位下中務少輔
経歴

天平21年(749年従五位下に昇叙し、中務少輔に任ぜられた。その後、仲麻呂一族が栄華を極める一方で『六国史』に真従に関する記事はなく、間もなく早世か。

真従の妻であった粟田諸姉藤原仲麻呂の思惑により大炊王(のち淳仁天皇)と再婚。大炊王は仲麻呂の私邸に住むなど、仲麻呂と深く結びつく。その後、天平勝宝9歳(757年)4月、仲麻呂は大炊王を皇嗣として擁立し、権力を握ることになる。
官歴

続日本紀』による。

時期不詳:正六位下

天平21年(749年) 4月1日:従五位下。8月10日:中務少輔

系譜

尊卑分脈』による。

父:藤原仲麻呂

母:藤原宇比良古藤原房前女)

妻:粟田諸姉 - のち淳仁天皇

生母不詳の子女

女子:藤原広河(藤原巨勢麻呂子)室


脚注^ 一部の書籍に訓儒麻呂を仲麻呂の長男とするものがあるが、従五位下への叙爵時期(真従:天平勝宝元年(749年)、訓儒麻呂:天平宝字2年(758年))の差により真従を長男とするのが正しいと考えられている。

参考文献

宇治谷孟『続日本紀 (中)』講談社講談社学術文庫〉、1995年


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