藤原 曹司(ふじわら の そうし、天平宝字2年(758年) - 延暦12年(793年)11月)は奈良時代から平安時代前期にかけての女官。左大臣・藤原永手の娘で、家依の妹、雄依の姉、母は藤原良継の娘[1]。光仁天皇夫人。名は曹子、巨曾子(あるいは曾子)[2]とも表記される。 光仁朝の宝亀3年(772年)に無位から正四位上に叙せられる。宝亀8年(777年)に従三位に昇叙。同年8月に光仁天皇の夫人となるが、天皇との間に子は確認されていない。 桓武朝の延暦2年、(783年)桓武天皇の妃である藤原乙牟漏・藤原吉子とともに叙位が行われ、正三位に進んだ。平安遷都直前の延暦12年(793年)11月に薨去[3]。享年36。文を好み、その才能があったという[1]。 注記のないものは『続日本紀』による。
生涯
官歴
宝亀3年(772年)正月9日:正四位上
宝亀8年(777年)正月10日:従三位。8月11日:光仁天皇夫人
延暦2年(783年)2月5日:正三位
時期不詳:正二位(『尊卑分脈』による)
延暦12年11月:薨去(『一代要記』による)
脚注^ a b 『尊卑分脈』
^ 卜部家本系写本の「巨」は「臣」の誤写で、重複ではないか、とされている(岩波書店『続日本紀』5、p364脚注10)
^ 『一代要記』桓武天皇記
参考文献
『続日本紀』4 新日本古典文学大系15 岩波書店、1995年
『続日本紀』5 新日本古典文学大系16 岩波書店、1998年
宇治谷孟『続日本紀 (下)』講談社学術文庫、1995年
『日本古代人名辞典』6 - p1518竹内理三・山田英雄・平野邦雄編、吉川弘文館、1973年