藤原 懐子
第65代天皇母
皇太后永観2年12月17日(985年1月10日)
(追贈)
誕生天慶8年(945年)
薨去天延3年4月3日(975年5月16日)
陵所宇治陵
諱懐子
氏族藤原氏(北家・九条流)
父親藤原伊尹
母親恵子女王
藤原 懐子(ふじわら の かいし/ちかこ、天慶8年(945年) - 天延3年4月3日(975年5月16日))は平安時代中期、北家の摂政藤原伊尹の長女。母は代明親王(醍醐天皇皇子)の娘恵子女王。冷泉天皇女御、花山天皇国母。 応和3年(963年)頃、皇太子憲平親王(冷泉天皇)に入内。康保4年(967年)冷泉天皇即位で更衣、さらに同年女御宣下を受け従四位下。天皇との間には、安和元年(968年)に出産した第一皇子師貞親王(花山天皇)はじめ、一男二女に恵まれる。同2年(969年)冷泉天皇譲位により師貞親王が円融天皇の皇太子に立つ。天延2年(974年)従二位に進み、同3年(975年)31歳で薨去。永観2年(984年)、花山天皇即位で皇太后を追贈された。 冷泉天皇の後宮には皇太子時代から正妃昌子内親王がいたが、狂気の夫帝を恐れて近づかなかった昌子内親王は子をもうけることもなく、女御ながら懐子は冷泉天皇が在位中に一男二女をもうけた唯一の妃であった。ことに師貞親王は伊尹という有力な外祖父を持つ皇子として立太子されたが、しかしその後伊尹は摂政太政大臣となりながらも外孫の即位を見ることなく天禄3年(972年)に死去。さらに懐子やその兄弟たちも相次いで他界する。その結果若い叔父義懐の他さしたる後見を持たなくなった花山天皇は、在位2年の短さで帝位を追われ、また円融天皇女御となった次女尊子内親王も自ら出家の後早世するなど、遺された子女はいずれも不遇に終わった。 陵墓は宇治陵。
生涯
略系図
表
話
編
歴
皇太后一覧
伝承の時代
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古墳時代
媛蹈鞴五十鈴媛命
五十鈴依媛命
渟名底仲媛命
天豊津媛命
世襲足媛
押媛
細媛命
欝色謎命
伊香色謎命
御間城姫
八坂入媛命
両道入姫命
気長足姫尊
仲姫命
忍坂大中姫
手白香皇女
春日山田皇女
橘仲皇女
石姫皇女
飛鳥時代
皇太后なし
奈良時代
藤原安宿媛749-760
紀橡姫771贈
平安時代
高野新笠790贈
藤原乙牟漏806贈
藤原旅子823贈
橘嘉智子823-833
正子内親王833-854
藤原順子854-864
藤原明子864-882
藤原高子882-896
藤原沢子884贈
藤原胤子897贈
班子女王897-900
藤原穏子931-946
藤原安子967贈
昌子内親王973-986
藤原懐子984贈
藤原詮子986-991
藤原遵子1000-1012
藤原超子1011贈
藤原彰子1012-1018
藤原妍子1018-1027
藤原嬉子1045贈
禎子内親王1051-1068
章子内親王1068-1069
藤原寛子1069-1074
藤原茂子1073贈
藤原歓子1074-1102
藤原賢子1087贈
藤原苡子1107贈
藤原聖子1141-1150
藤原多子1156-1158
源懿子1158贈
藤原呈子1158-1168
平滋子1168-1169
藤原忻子1172-1209
鎌倉時代
源通子1243贈
南北朝時代