凡例藤原 山人
時代平安時代初期
生誕不詳
死没不詳
官位正五位下、刑部卿
主君桓武天皇→平城天皇→嵯峨天皇→淳和天皇
氏族藤原式家
父母父:藤原種継、母:山口中宗の娘
兄弟仲成、縵麻呂、山人、藤生、井出湯守、世嗣、安継?、薬子、東子
妻菅野真道の娘
子菅雄、行雄、長常
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藤原 山人(ふじわら の やまひと)は、平安時代初期の貴族。藤原式家、中納言・藤原種継の子。官位は正五位下・刑部卿(一説に刑部大輔)。 従五位下に叙爵後、延暦23年(804年)に越中権介を務める。 平城朝では、大同元年(806年)主馬権助、大同3年(808年)雅楽頭と京官を歴任し、同年11月には従五位上に昇叙されると共に、伊予守を兼ねる。弘仁元年(810年)9月に発生した薬子の変の最中に、駿河守として地方官に転じた。 嵯峨朝での昇叙はなかったが、淳和朝の天長4年(827年)に19年ぶりに昇叙されて正五位下に至る。 『日本後紀』による。 『尊卑分脈』による。
経歴
官歴
時期不詳:従五位下
延暦23年(804年) 正月24日:越中権介
大同元年(806年) 4月18日:主馬権助
大同3年(808年) 5月28日:雅楽頭。11月17日:従五位上。11月27日:兼伊予守
弘仁元年(810年) 9月10日:駿河守
天長4年(827年) 正月21日:正五位下
系譜
父:藤原種継
母:山口中宗の娘
妻:菅野真道の娘
男子:藤原菅雄 - 民部大輔正五位下
生母不明
男子:藤原行雄
男子:藤原長常
出典
森田悌『日本後紀』(中下巻)、講談社学術文庫、2006年
『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年
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