凡例藤原 城主
時代平安時代初期
生誕不詳
死没不詳
官位従五位上、下野守
主君桓武天皇→平城天皇
氏族藤原北家
父母父:藤原楓麻呂、母:不詳
兄弟園人、園主、城主
妻不詳
子行道、伊利、行縄、行人
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藤原 城主(ふじわら の しろぬし)は、平安時代初期の貴族。藤原北家、参議・藤原楓麻呂の子。官位は従五位上・下野守。 延暦18年(799年)従五位下に叙爵。延暦23年(804年)宮内少輔次いで民部少輔に任ぜられる。 桓武朝末の延暦25年(806年)正月に下総介に任ぜられる。同年2月に一旦典薬頭に遷るが、平城天皇即位後の同年4月に下総介に再任されている。大同3年(808年)従五位上に叙される。また、時期は不明ながら下野守も務めた。 注記のないものは『六国史』による。 『尊卑分脈』による。
経歴
官歴
時期不詳:正六位上
延暦18年(799年)5月10日:従五位下
延暦23年(804年)2月18日:宮内少輔。4月8日:民部少輔
延暦25年(806年)正月28日:下総介。2月24日:典薬頭。4月12日:下総介
大同3年(808年)正月25日:従五位上
時期不詳:下野守[1]
系譜
父:藤原楓麻呂
母:不詳
生母不詳の子女
長男:藤原行道(787-855)
次男:藤原伊利
三男:藤原行縄
四男:藤原行人
脚注^ 『尊卑分脈』
出典
森田悌『日本後紀』(上中巻)、講談社〈講談社学術文庫〉、2006年
『尊卑分脈 第一篇』吉川弘文館、1987年
Size:5275 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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