凡例藤原 周家
時代平安時代中期
生誕不詳
死没長暦2年9月1日(1038年10月1日)
官位従四位下、大舎人頭
主君一条天皇
氏族藤原北家中関白家
父母父:藤原道隆、母:伊予守奉孝の娘
兄弟道頼、頼親、伊周、定子、隆家、原子、隆円、頼子、御匣殿、周家、周頼、
藤原妍子女房、好親、平重義室
子長心、行尊
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藤原 周家(ふじわら の ちかいえ)は、平安時代中期の貴族。藤原北家、摂政関白内大臣・藤原道隆の子。官位は従四位下・大舎人頭。 一条朝の長保5年(1003年)頃から寛弘6年(1009年)頃にかけて右衛門佐を務め、のち大舎人頭に任ぜられた。 後朱雀朝の長暦2年(1038年)9月1日に周家の物を盗み取ろうとした家来に殺害される。従兄弟にあたる関白・藤原頼通一族や[1]、甥の頭弁・藤原経輔が喪に服したという[2]。 『尊卑分脈』による。
経歴
官歴
長保5年(1003年) 4月6日:見右衛門佐[3]
時期不詳:従四位下[3]
寛弘4年(1007年) 4月5日:見右衛門佐[3]
寛弘6年(1009年) 日付不詳:止右衛門佐?[4]
時期不詳:大舎人頭[5]
長暦2年(1038年) 9月1日:卒去[6]
系譜
父:藤原道隆
母:伊予守奉孝(姓不詳)の娘
生母不明の子女
男子:長心
男子:行尊
脚注^ 『春記』長暦2年9月1日条
^ 『春記』長暦2年9月23日条
^ a b c 『権記』
^ 『御堂関白記』寛弘6年3月30日条で藤原知光が右衛門佐の任にあり。
^ 『尊卑分脈』
^ 『春記』
出典
『尊卑分脈 第一篇』吉川弘文館、1987年
市川久『衛門府補任』 続群書類従完成会、1996年