藤井郁弥のオールナイトニッポン
放送期間1989年4月12日 - 1989年12月27日(水曜1部)
放送時間水曜 25:00 - 27:00
(木曜未明 1:00 - 3:00、水曜1部)
放送局ニッポン放送
制作ニッポン放送
ネットワークNRN系列
パーソナリティ藤井郁弥(当時チェッカーズ)
出演JETS
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『藤井郁弥のオールナイトニッポン』(ふじいふみやのオールナイトニッポン)は、ニッポン放送制作の深夜放送、オールナイトニッポンで放送されていたラジオ番組である。放送枠及び放送時間・放送期間は、1989年4月12日から同年12月27日まで、水曜1部(毎週水曜日深夜25:00?27:00(木曜日未明1:00?3:00))。 メインパーソナリティは当時チェッカーズのメンバーだった藤井郁弥(現・藤井フミヤ)。ニッポン放送での藤井単独パーソナリティによる番組としては、本番組は『藤井郁弥のハートはジュークボックス』(1985年10月 - 1987年10月 毎週日曜8:00 - 8:30)、『藤井郁弥 キュートしようよ』(1987年10月 - 1989年4月 毎週土曜22:00 - 22:30)に続く番組である。なお『キュートしようよ』は本番組と入れ替わる形で1989年4月8日で終了している。 番組は大きく午前1時台の前半と2時台の後半に分けての2部構成で放送されており[1]、前半はリスナーと議論していくパートで、毎週議論のテーマを決め(『自民党と金』(1989年4月26日[2])、『だまされた話』(1989年4月26日[2]、『日本はどうなるか』(1989年8月3日[3])、『夏休みのアルバイト』(1989年7月26日[4])等々)、意見を生放送中電話で受け付けた他、はがきや手紙でも募集してそれを紹介[1]。後半ははがきネタコーナーが続くパートであった[1]。 番組には藤井の飲み友達だったという、火の玉軍団と呼ばれていた「JETS」(ジェッツ)のメンバーがしばしば出演[5][1]。番組中にかける曲の選曲はそのJETSのメンバーが行い、洋楽中心でオンエアされていた[1]。 新コーナー案はリスナーからも随時受け付けていた。案が採用されて実際にコーナー化された場合は、提案者に1万円程度の賞金が贈られていた[6]。 藤井は本番組から28年後の2017年10月から12月まで、オールナイトニッポンPremiumの水曜パーソナリティとして再びオールナイトニッポンシリーズでレギュラー出演している。 他
概要
主なコーナー
カラダ記念日
リスナーから自分たちの性体験を詠みこんだ短歌、俳句を募集して紹介[1]。
スジを通せ!!伝説の番長&金八先生
各地の番長や不良たちの愛すべきエピソード、また学校の先生の面白い、変わったエピソードを募集[1][3]。
だまされた
リスナーによる「騙された」その体験談を紹介[1]。
JETSとキャンプに行こう
『夏休みのアルバイト』をテーマにした日(1989年7月26日)から、番組中でさびれたリゾート情報を伝えて織り交ぜながら、藤井が村おこしに協力しようと立った[4]のがきっかけ。昔ながらのキャンプの楽しさについての情報などを伝えていた[7]。
恋愛なんてラララ・・・
1989年11月からのコーナー[8]。
番組史
1989年6月14日 - ゲスト:NOKKO(レベッカ)
1989年6月28日 - ゲスト:とんねるず
1989年7月19日 - 『オールナイトニッポンライブスペシャル』放送のため休止
1989年7月26日 - 当時コンサートツアー初日の長野(信越放送)から生放送[4]
1989年9月20日 - ゲスト:チェッカーズ全員
1989年9月27日 - ゲスト:工藤静香
1989年10月25日 - 『Mr.マリックのオールナイトニッポン』放送のため休止
1989年11月8日 - ゲスト:竹内まりや
1989年11月22日 - ゲスト:松任谷由実
1989年11月29日 - 冬のコンサートツアーの公演先の静岡(静岡放送)から生放送[9]
1989年12月20日 - ゲスト:宮沢りえ
脚注[脚注の使い方]^ a b c d e f g h ラジオパラダイス 1989年7月号「ラジパラ新番組チェーック!!」p.44
^ a b 朝日新聞 1989年4月26日ラジオ欄(19面)
^ a b 朝日新聞 1989年8月3日ラジオ欄(21面)