藤井猛
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藤井武」、「藤井毅」、あるいは「藤井丈司」とは別人です。

 藤井猛 九段

名前藤井猛
生年月日 (1970-09-29) 1970年9月29日(53歳)
プロ入り年月日1991年4月1日(20歳)
棋士番号198
出身地群馬県沼田市
所属日本将棋連盟(関東)
師匠西村一義九段
段位九段
棋士DB藤井猛
戦績
タイトル獲得合計3期
一般棋戦優勝回数8回

2018年2月16日現在
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藤井 猛(ふじい たけし、1970年9月29日 - )は、将棋棋士西村一義九段門下。棋士番号は198。群馬県沼田市出身。

振り飛車党であり、一世を風靡した新戦法「藤井システム」の開発でも知られ、1998年から藤井システムを武器に竜王を三連覇した[1][2]。1996年度に「藤井システム」で、2012年度に「角交換振り飛車」で升田幸三賞を受賞[1]

1999年、沼田市民栄誉賞受賞[3]。2012年より日本将棋連盟非常勤理事を務めた[4]
棋歴
修行時代

将棋のルールを覚えたのが小学校4年の頃、将棋の面白さがわかったのが小6 - 中1の頃(本人談[注 1])という遅さ。奨励会試験で一度落ちたが、研修会から編入し、1986年に奨励会に入会した。入会後5年をかけ1991年に四段に昇段(プロ入り)。いわゆる「羽生世代」の一人であるが、羽生善治佐藤康光森内俊之郷田真隆村山聖といった早熟の棋士達[注 2]とは異なり、丸山忠久と共にやや遅れて台頭してきたグループに属する[5]
藤井システムの開発と竜王戦三連覇

1995年12月22日、第54期B級2組順位戦の対井上慶太戦で、対居飛車穴熊の「藤井システム」を初披露し、僅か47手で井上を投了に追い込んだ。

1996年度の第27回新人王戦で優勝。同棋戦では、翌1997年度(第28回)、および、竜王在位時の1999年度(第30回)でも優勝。さらには、1997年に第16回早指し新鋭戦で優勝し、若手棋士参加棋戦で4度の優勝を果たす。1996年は、全棋士参加の大型棋戦である第14回全日本プロトーナメントでも決勝五番勝負に進出したが、屋敷伸之に0-3のストレートで敗れ、優勝はならなかった。

1998年度、第11期竜王戦で4組優勝[注 3]。本戦(決勝トーナメント)では、鈴木大介(3組2位)、南芳一(1組優勝)、屋敷伸之(1組3位)に勝ち、さらに、挑戦者決定三番勝負で羽生善治(1組2位)を相手に1敗の後に2連勝し[6]、タイトル初挑戦。谷川浩司竜王との七番勝負で藤井システムを用い、4-0のストレートで破りタイトル初獲得(1998年11月18日)。「将棋世界」誌の表紙には「藤井システム、将棋界を席捲」の文言が印字された。第24期棋王戦では挑戦者決定戦まで進出したが、敗者復活戦から勝ち上がった佐藤康光に敗れた。この挑戦者決定戦の二番勝負で藤井は当初、先手番対局と後手番対局が交互にあると思っており、二局とも振り駒で先後を決めることを知らなかったので驚いたと後に述べている[7]。なお、この年度は全棋士中1位の43勝を挙げた。

初の防衛戦となる第12期(1999年度)竜王戦では、同じ振り飛車党である鈴木大介を挑戦者に迎えた。鈴木は挑戦権獲得時のインタビューで、全局を振り飛車で戦うとの「全・振り飛車宣言」をしていた。七番勝負で藤井は振り飛車を封印し、全局通して居飛車で戦い、4-1で防衛に成功した[注 4]。なお、同1999年度は早指し将棋選手権戦で、タイトル戦以外の全棋士参加棋戦での初優勝も果たした[注 5]

2000年度、第48期王座戦で羽生に挑戦[注 6]。その五番勝負と日程がオーバーラップして、第13期竜王戦七番勝負では羽生の挑戦を受け、「十二番勝負」となった。王座戦は2-3で敗れたものの、「勝っても負けてもフルセットにします」と宣言したとおりの展開となった。竜王戦で羽生をフルセットの末4-3で下し、竜王戦史上初の3連覇を達成[注 7]。お互い自分が保持するタイトルをフルセットで防衛した[6]。羽生の挑戦を退けてタイトルを防衛したのは谷川に続き2人目である。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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