藤井淳志
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藤井 淳志2019年7月23日、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島にて
基本情報
国籍 日本
出身地愛知県豊橋市
生年月日 (1981-05-20) 1981年5月20日(43歳)
身長
体重183 cm
82 kg
選手情報
投球・打席右投両打
ポジション外野手
プロ入り2005年 大学生・社会人ドラフト3巡目
初出場2006年3月31日
最終出場2021年10月13日(引退試合)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


愛知県立豊橋東高等学校

筑波大学

NTT西日本

中日ドラゴンズ (2006 - 2021)

派遣歴


ティグレス・デル・リセイ (2008)

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藤井 淳志(ふじい あつし、1981年5月20日 - )は、愛知県豊橋市出身の元プロ野球選手外野手、右投両打)、野球解説者、実業家
経歴
プロ入り前

地元で公立の豊橋東高等学校から、一般入試で筑波大学へ進学。入学後には、4年からスイッチヒッターに挑戦して2003年首都大学野球春季1部リーグで打率.340、50打数17安打6打点と個人打撃成績7位の成績を残す[1]

NTT西日本へ進み、2005年の都市対抗野球では2回戦で日産自動車高崎健太郎から本塁打を放つがコールド負け。秋の日本選手権でプロでも同僚となる齊藤信介岸田護脇谷亮太らのメンバーで準優勝。野球W杯で社会人で編成された日本代表に選出。2005年度大学生・社会人ドラフト会議にて中日ドラゴンズから3位指名を受け、入団。
中日時代

2006年シーズンは、上田佳範井上一樹英智らと外野のポジションを争い、オープン戦の活躍により「2番・中堅手」として開幕スタメンを果たした(チームとして福留孝介以来7年ぶりの新人の開幕スタメン)開幕2戦目でプロ初安打を記録し守備では山ア浩司の左中間に抜けそうな当たりをダイビングキャッチするというファインプレーをみせた。しかし5試合目からはスタメンを外れ、以後は主に守備固め代走として出場した。北海道日本ハムファイターズとの日本シリーズでは第4戦の8回裏中堅の守備固めで日本シリーズ初出場。

2007年シーズンからは、右打席に専念。春季キャンプにおいて、ほぼ毎日3時間かけ、1562スイングと荒行を成し遂げるも、落合博満監督は「これから毎日だよ。足りなけりゃ4時間でも5時間でもいい。長くなってくるよ。限界? 限界なんてあるか」と発言[2]。藤井の目標は「総合アップさせたい。1日1600スイングで鍛える」[3]であった。前年のシーズンよりもスタメンの機会が増え、プロ初打点も記録。また、ナゴヤドームで初本塁打を右打席で逆方向に放った。守備固めや代走での出場も含め前年のシーズンより出場機会が増えた。

2008年シーズンは、4度の二軍落ちを経験するなど出番に恵まれなかった。同年のシーズンオフに野手として初めてドミニカ共和国ウィンターリーグ新井良太前田章宏とともに派遣された。リセイ・タイガースに所属し、終盤に登録され、3打数1安打の成績であった。ウィンターリーグを機にスイッチヒッターへ再転向。

2009年シーズンは、5月に一般女性と結婚[4]。オープン戦で好成績を残し、好調のまま迎えた公式戦では開幕直後の6試合で4本塁打とそれまでのシーズンにおける自身の通算本塁打数を更新した。6月30日の対阪神タイガース戦では、3点差をひっくり返す、プロ入り初の逆転満塁本塁打を放った[5]。9月6日の対横浜ベイスターズ戦(新潟)で和田一浩と交錯し、骨折する大けがを負い、戦列を離れた[6]


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