藤井洋八
[Wikipedia|▼Menu]

島田 洋八
本名藤井 健次
(ふじい けんじ)
生年月日 (1950-02-13)
1950年2月13日(74歳)
出身地 日本 岡山県笠岡市
言語日本語
最終学歴福山盈進高等学校卒業
コンビ名B&B
グループ名ドリームライズ
芸風漫才ツッコミ)バックコーラス
事務所株式会社オフィスコットン
活動時期1975年 -
配偶者独身(2023年死別)
テンプレートを表示

島田 洋八(しまだ ようはち、1950年昭和25年〉2月13日[1] - )は、日本漫才師俳優。漫才コンビB&Bのひとり。岡山県笠岡市生江浜出身。福山盈進高等学校卒業。俳優活動する時の芸名は藤井洋八。かつては吉本興業に所属していたが、2022年から株式会社オフィスコットンに所属している。兄は笠岡市議会議員で第45代議長の藤井義明。
来歴

1975年、後の相方に当たる島田洋七は「島田洋一」の芸名で、「上方真一」と名乗っていた上方よしおとともにB&Bを組んでいたが、洋七が望んでいた東京進出をよしおが拒んでいたため折り合いがつかずに解散。そこで桂三枝(現・六代目桂文枝)からの薦めもあって、洋七の3代目の相方となり(初代は団順一)新生B&Bが誕生した。

漫才では主にツッコミ担当であるが、ボケ担当である洋七の強烈なマシンガントークや「小野田さーん」と洋八の頭をめがけて叫ぶことからいじられ担当との形もとれる。

年は6歳下だが先に入門していた島田紳助からは呼び捨てで呼ばれるものの、本来の仕切りである「先に入ったものを『兄さん』(「にいさん」。東京では「あにさん」)と呼ぶこと」に関しては洋八は特に紳助のことを兄さんと呼んだり先輩扱いしている様子などはなく、敬語も使わない。紳助もまたその事を気にしている様子も無い。その他、紳助と同期の明石家さんまにも同様に敬語を使わず、先輩扱いしていない。

1980年に空前の漫才ブームに乗ってスターダムにのし上がった。翌年の1981年にスタートした大ヒット番組「オレたちひょうきん族」(フジテレビ)ではビートきよしツービート)と松本竜助紳助・竜介)らとうなずきトリオを結成し、大人気を博すことになる。

1983年コンビ解散。

その後は俳優活動をし、「藤井 洋八」の芸名で活動。「鮫肌男と桃尻女」のいかれたホテルの支配人役は一部に高い評価を得た。その際に昔からの友人である我修院達也と共演、現在も親交は続いている。それから数年後、洋七が吉本に帰参を許された事もあり、再び洋七とともにコンビを再結成し各劇場にて漫才をやっていたが、2007年に洋七が吉本を離籍して以降は事実上活動停止となった。その後、洋八も2011年末で吉本興業を退社している。2012年10月に約5年ぶりにコンビを再結成を行った[2]

ますだおかだ岡田圭右が洋八とキャラがかぶるとの話をよくされることもある。

2008年4月から、元ツービートのビートきよしと「うなずきコンビ」を結成。LIVE STAND 08、よしもと浅草花月の舞台に、出演した。

デビューから2008年までは公式プロフィールなどで『1951年生』と1歳サバを読んでいた

歯科医の女性と再婚し、伊豆大島東京都大島町)に在住していた。その後、2023年3月に妻が膵臓がんで死去している[3]

出演
テレビドラマ

※B&Bとしての出演作はB&B (お笑いコンビ)参照。

事件記者チャボ 第6話「チャボvs怪盗下りぐも…」(1983年、日本テレビ)痴漢役

エプロンおばさん 第8話「今晩は!泥棒ですの巻」(1983年、フジテレビ

特捜最前線 第367話「六本木ラストダンス!」(1984年、テレビ朝日 / 東映

星雲仮面マシンマン 第10話「テレパシー大作戦」(1984年、東映・日本テレビ) - 唐沢 役

超電子バイオマン 第25話「プリンスの幽霊?」(1984年、テレビ朝日) - 司会者 役

宇宙刑事シャイダー 第36話「ユメコン狂時代だ」(1984年、テレビ朝日) - 青木一郎 役

NHK大河ドラマ春の波涛」(1985年、NHK

ドラマ女の手記「温泉仲居物語・湯煙り湯の街女の涙」(1986年、テレビ東京 / キネマ東京)

金曜エンタテイメント女優 夏木みどり モンロー殺人事件」(1988年7月1日、フジテレビ)


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:25 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef