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藤井 恵介(ふじい けいすけ、1953年3月13日 - )は、日本の建築史家、保存学者。東京大学名誉教授、前建築史学会会長、文化庁文化審議会委員(文化財分科会)、東京芸術大学客員教授。(株)藤井恵介建築保存学研究所主催。工学博士(東京大学)。 島根県松江市生まれ。東京教育大学附属駒場中学校・高等学校を経て、1976年東京大学工学部建築学科を卒業。大学院に進む。1982年東京大学工学部助手、助教授、准教授を経て、教授となる。2018年定年退職、東京大学名誉教授。現在東京藝術大学客員教授。文化庁文化審議会委員(文化財分科会)。 この間、武蔵野美術大学、東京電機大学、東北大学文学部、東北大学工学部、早稲田大学文学部、お茶の水女子大学文教育学部、同生活科学部、明治大学理工学部、日本女子大学文学部、同家政学部、千葉大学工学部に出講した。 以下の研究をしている。
経歴
密教建築、密教空間に関する研究を創始して、日本史学、美術史学、仏教学との連携で、幅広い研究領域を開拓した。その主たる史料として指図研究を進めた。
建築様式史研究においては、組物を素材として従来の形式論的な研究方法を刷新し、その意味論的な方法へと転換させた。また、科学研究費基盤Aを得て研究者を全国的に組織し、連続シンポジウムを開催して新しい展望を拓いた。
建築史学史としては、建築学専攻に保存されている明治初期から昭和初年にかけて収集された、古写真、図面、模型、遺物などを対象にして、関野貞(東京大学名誉教授)の総合的な研究がある。また、関野貞、太田博太郎、稲垣栄三(東大名誉教授)、田中淡(京大名誉教授)の著作集の刊行、中村達太郎東大名誉教授の名著『日本建築辞彙』の新訂版の制作に関わった。
近年では、日本の歴史的建築を、東アジア全体あるいは世界全体のなかに位置づけるために、中国清華大学と協力して東アジア建築史を構想しつつある。
建築保存の分野では、理論では、建築の「移築」を取り上げ、それが普遍的に見られる現象であって、日本の木造建築文化の特質の一つであることを発見した。具体的な保存政策では、文化庁文化審議会文化財分科会専門委員(第一の歴史資料、第二の建造物、第三の史跡)、史蹟の復元建築に関する委員会委員などを歴任。実際の建築では、「平城宮大極殿」復元、「正倉院宝庫」「瑞巌寺本堂」修理、「多賀城南門」復元、「港区ゆかしの杜(旧国立公衆衛生院建物)」「港区旧芝浦見番(旧共働会館)」「岡田三郎助アトリエ」「大倉喜八郎向島別邸」などの改修、移築などに関わる。
学位・受賞
1986年 「平安時代密教建築史の研究」により工学博士号を取得。
1990年 日本建築学会奨励賞、
2010年 日本建築学会賞(業績、関野貞の研究、共同受賞)
2020年 日本建築学会賞(業績、港区ゆかしの杜、共同受賞、港区委員として)
著書[1]
単著
『法隆寺U 建築』日本の古寺美術:保育社 1987