藤丸敏
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日本政治家藤丸 敏ふじまる さとし
2012年撮影
生年月日 (1960-01-19) 1960年1月19日(63歳)
出生地 日本 福岡県山門郡瀬高町上庄
出身校東京学芸大学教育学部
東京学芸大学大学院(中退)
前職古賀誠衆議院議員秘書
所属政党自由民主党岸田派
公式サイト ⇒衆議院議員 藤丸敏(さとし) 【公式ホームページ】
衆議院議員
選挙区福岡7区
当選回数4回
在任期間2012年12月18日 - 現職
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藤丸 敏(ふじまる さとし、1960年1月19日 - )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(4期)、自由民主党国会対策副委員長。

内閣府副大臣内閣府大臣政務官防衛大臣政務官等を歴任。
来歴

福岡県山門郡瀬高町上庄生まれ[1]。瀬高町立上庄小学校、瀬高町立瀬高中学校、福岡県立山門高等学校卒業後、1年間の浪人生活を経て、東京学芸大学教育学部に入学[1]。在学中の1980年から古賀誠衆議院議員の下で書生秘書を務める[1]

1985年、東京学芸大学教育学部を卒業し、同大学院で学ぶ傍ら、同年から立正大学付属立正中学校・高等学校で、1987年から本郷中学校・高等学校社会科非常勤講師を務めた[1]。大学院は1988年に中退し、1996年より古賀誠の秘書を務める[1]2010年には、古賀の公設第一秘書に就任した[1]

衆議院解散翌日の2012年11月7日、古賀は大牟田市のホテルで記者会見し、第46回衆議院議員総選挙への立候補を見送る意向を表明[2]。古賀から後継指名を受け[2][3]福岡7区から自由民主党公認で出馬し、同じく古賀の元秘書である民主党前職の野田国義を破り、初当選した[3][4]

2014年第47回衆議院議員総選挙に福岡7区から自民党公認で出馬。前回の総選挙で藤丸に敗れた野田国義は、2013年第23回参議院議員通常選挙福岡県選挙区から出馬して当選したため、民主党は7区に候補者を擁立できず、藤丸が日本共産党の候補を破り、7割を超える得票率で再選[5][6]

2015年第3次安倍第1次改造内閣内閣府大臣政務官ならびに防衛大臣政務官に任命された[1][7]2017年8月25日、自民党の有志議員による勉強会「日本の明日を創る会」の立ち上げにあたっては、同会の呼びかけ人を務めたものの、同日開かれた初回会合には欠席した[8]。なお同会には、8月3日に発足した第3次安倍第3次改造内閣において、当選回数は入閣適齢期ながら処遇されなかった竹本直一山本拓平沢勝栄や、安倍晋三首相への批判を強める石破茂古賀誠の側近議員らが多く参加した[8]。同年の第48回衆議院議員総選挙に福岡7区から自民党公認で出馬し、希望の党の新人候補らを破り3選[9]

2021年10月31日の第49回衆議院議員総選挙立憲民主党の新人候補を破り4選[10]

2022年8月12日第2次岸田第1次改造内閣内閣府副大臣内閣府金融に関する事務、経済財政政策税制調査会公益社団法人及び公益財団法人に関する事務、日本学術会議に関する事務を担当。経済再生新しい資本主義新型インフルエンザ等対策特別措置法新型コロナウイルス感染症対策、健康危機管理TPPに関する総合調整、日EUEPA日米貿易協定の国内対策に関する総合調整、海外ビジネス投資支援に関する事務などを補佐)に任命された。
政策・主張

9条を含む日本国憲法改正に賛成[11]。しかし、2022年4月10日に福岡県久留米市で行われた古賀誠の講演会である「古賀誠先生と語る会?政治家の一分、憲法9条は世界遺産?」において、「憲法9条を改正してはならない」と発言している。

同じく上記の講演会において、「将来的には国連のみが軍隊を持つべきである」と発言している。

憲法への緊急事態条項の創設に賛成[11]

参議院議員通常選挙で隣接する県を一つの選挙区にする「合区」をなくすための憲法改正に反対[11]

原子力発電は日本に「必要だ」としている[11]

日本の核武装について「将来にわたって検討すべきでない」としており、非核三原則の「持ち込ませず」の部分についても「議論する必要はない」としている[11]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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