この項目では、富山県にある山について説明しています。その他の薬師岳については「薬師岳 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
薬師岳
水晶岳山頂から望む
標高2,926.01[1] m
所在地 日本 富山県富山市
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度28分08秒 東経137度32分41秒 / 北緯36.46889度 東経137.54472度 / 36.46889; 137.54472
薬師岳(やくしだけ)は、富山県富山市南東部に位置する標高2,926 mの山。剱岳・立山と並ぶ飛騨山脈(北アルプス)立山連峰の主要峰であり、山域は中部山岳国立公園に指定されている[3]。山頂には二等三角点が設定されており、点名は「薬師ヶ岳」。所在地は、富山県富山市大字有峰字直川谷割39・黒部谷割国有林[1]。
日本各地には薬師岳という名の山が多数あり、その最高峰がこの薬師岳である。
日本百名山[4]および花の百名山[5]に選定されている。『花の百名山』では代表的な高山植物としてキバナシャクナゲなどを紹介している。
解説山頂の祠
北アルプスの山で有数の、非常に大きなどっしりとした気品のある山容である[4]。東斜面には、大規模な氷河地形の薬師岳圏谷(カール)群があり、国の特別天然記念物に指定されている。
立山などと同様に、薬師岳も山岳信仰の対象であり、阿弥陀浄土としての立山(雄山)に対し、薬師岳はその名の通り薬師如来の浄土として信仰を集めた。山頂にはこの薬師如来を祀った小さな祠があり、銅剣など、数々の修験の宝具が見られる。有峰ダム完成により水没したかつての有峰集落の住民らは、毎年6月15日に山頂へ登拝を行っていた[6]。有峰が廃村となると有峰側の登山道が廃れ、登山ルートは立山方面からの縦走によるものが主流となったが、有峰林道が開通した後は再び有峰側の登山路が重用されるようになった[7]。 古くから信仰の山とされていた。明治以前は、女人禁制とされていた。
歴史
1885年(明治18年) - 全国地質測量主任ベンジャミン・スミス・ライマンの助手坂本太郎が、測量調査などの目的で槍ヶ岳から縦走の際に登頂した[8]。
1904年(明治37年) - 地質学者の山崎直方が薬師岳東面の圏谷地形を発見した[9]。
1907年(明治40年) - この頃から近代登山の記録が残されている[10]。
1909年(明治42年) - 田部重治が有峰から登頂した。
1913年(大正2年) - 田部重治が島々から徳本峠・上高地・槍ヶ岳を経由して立山温泉までの北アルプス大縦走の際に再登頂した[11]。
1924年(大正13年)2月4日 - 伊藤孝一、百瀬慎太郎、赤沼千尋
1926年(大正15年) - 深田久弥が大学1年生の時に、友人と二人でテントを背負い登頂した[4]。
1934年(昭和9年)12月4日 - 山域が中部山岳国立公園の特別保護地区に指定された[3]。
1952年(昭和27年)3月29日 - 薬師岳の圏谷が、国の特別天然記念物に指定された。
1959年(昭和34年) - 有峰ダムが完成。以後折立からの登山道が整備され、この登山道が山頂へのメインルートとなった。
1963年(昭和38年)1月15日 - 昭和38年1月豪雪(サンパチ豪雪)の山中で、愛知大学山岳部13人全員が死亡する遭難事故(愛知大学山岳部薬師岳遭難事故)が発生した[13][14][15]。
2001年(平成13年)1月6日 - 服部文祥が黒部横断・北薬師岳東稜冬季初登頂を行った[16]。
薬師岳の圏谷群金作谷カールと薬師岳(北薬師岳より)
薬師岳主稜線東面に、北から順に4つの圏谷が並ぶ。 最寄りの登山口は、有峰ダム近く、西銀座ダイヤモンドコースの起点でもある折立であり、周辺の山小屋や薬師峠のキャンプ指定地を利用して、1泊2日で往復されることが多い[18][19]。立山連峰縦走時にここを通過することもある。 太郎兵衛平、薬師峠、薬師平周辺の登山道では、植物保護のために木道などが整備されている。毎年6月中旬に山開きが行われ、麓の播隆上人像公園で安全祈願祭が行われ、薬師如来像を背負って登頂し、山頂の祠に安置される。10月中旬の薬師岳閉山祭の際に薬師如来像は麓へ下る[20]。
北カール(崩壊があり不明瞭)
金作谷カール(新田次郎の小説『劔岳 点の記』にも登場する山登りの名人・宮本金作の名が付いている[17])
中央カール
南稜カール
登山
登山ルート