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さつま けんぱちろう
薩摩 剣八郎
本名前田 靖昭(まえだ やすあき)[1]
別名義
久坂 龍馬
中山 剣吾
生年月日 (1947-05-27) 1947年5月27日
没年月日 (2023-12-16) 2023年12月16日(76歳没)
出生地 日本・鹿児島県
職業俳優、スーツアクター
ジャンル映画・テレビドラマ
活動期間1967年 - 2023年
主な作品
『ゴジラ』
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薩摩 剣八郎(さつま けんぱちろう[2][3]、(1947年[出典 1]5月27日[7][8] - 2023年12月16日)は、日本の俳優[2]、スーツアクター。薩摩豪剣研修会主宰[9]。
鹿児島県生まれ[出典 2]。本名は前田 靖昭(まえだ やすあき)[10][1]。別名に久坂 龍馬、中山 剣吾[10]。
経歴
1965年、川崎製鉄(現JFEスチール)に入社[4]。翌年より千葉製鉄所に勤務[4]。
1967年、川崎製鉄を退社し、日活演技研究所(日活芸能教室)に1期生として入所[4]。同所を卒業後、劇団日活青年劇場に在籍。芸名は久坂龍馬[4]。
1969年、日活専属俳優となる。
1970年9月、三船プロダクションに移籍[4]。芸名を中山剣吾に改める[4]。
1971年、『ゴジラ対ヘドラ』にヘドラ役で出演[出典 3]。初めてスーツアクターを務めた[出典 4]。
1973年、ピー・プロダクションの附属劇団「河童」を主宰。
1984年、『ゴジラ』にゴジラ役で出演[出典 5]。これを機に芸名を薩摩剣八郎と改名し、同作から『ゴジラvsデストロイア』(1995年)まで、主役であるゴジラを演じた[出典 6]。
2023年12月16日午前10時49分、間質性肺炎のため死去[13]。76歳没。
エピソード
特技は水彩画、示現流剣術、空手道。
@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}空き地で剣術を稽古していたところ、徐々にエスカレートして他人の土地に道場を建設するまでに至った結果、地主に見つかって泣く泣く退去させられた。[要出典]
北朝鮮映画『プルガサリ 伝説の大怪獣』では、撮影自体は楽であったが、現地の人々の純粋さが忘れられないといい、再び北朝鮮を訪れたいと語っていた[10]。
ゴジラに関するエピソード「ゴジラ (平成VSシリーズ)」も参照
『ゴジラ対ヘドラ』への出演は、東宝で特技監督の中野昭慶に出会ったことがきっかけであった[5]。自分は顔出しの役だと思っていたため、怪獣(ヘドラ)役と知って落胆したが、事務所からギャラが良いと勧められ、引き受けたという[5]。また、以前からゴジラの名は知っていたが、映画館で鑑賞したことはなかった[5]。ヘドラが煙突から煙を吸うシーンでむせ返るなどの苦労もあったが、撮影が終わるころには面白いと感じるようになったと述懐している[5]。一方、ヘドラやガイガンでは、ただ演じるだけで精一杯であったとも述べている[10]。
『ゴジラ』(1984年)では、「185cmを超える役者」とのオファーに対し、当時主宰していた劇団の役者を推薦したものの辞退されたことから、代わりに自分(身長170cm)が演じることとなった[出典 7]。その結果、スーツはサイズが合わずにたるみ、覗き穴の位置も合っていなかったため、自ら穴を開けたという[10][6]。また、同作品の撮影時にメイキングを担当していた川北紘一に対し、メイキング用の撮影を断るなど不遜な態度をとっていたため、川北が特技監督を務めた次作『ゴジラvsビオランテ』以降のシリーズに起用されたのは意外であったという[出典 8]。