薩?峠(さったとうげ)は、静岡県静岡市清水区にある峠である。東海道五十三次では由比宿と興津宿の間に位置する[1]。
名称の由来は、伝承によれば、鎌倉時代に由比倉沢の海岸で漁網にかかった地蔵(=地蔵菩薩、地蔵薩?、薩?地蔵)の石仏を当地に祀った故事に由来する[2]。また、東海道五十三次蒲原辺りから見ると観音菩薩が横になる姿に見えると言われる(寝観音)。難読地名のため表記を「さった峠」としている場合がある。また、JIS第3水準である?の字は入力が簡単ではなく、ネット上では「薩垂峠」「薩堆峠」等の不規則表記も見受けられる。
富士山と海、高速道路、鉄道等を一望に収めることができる撮影スポット・絶景スポットとして知られ、多くの写真愛好家や観光客が訪れる。
薩?峠の展望台は老朽化により一時閉鎖されていたが、現在は修復を済ませ供用されている。展望台上にはライブカメラや通信アンテナなどあり、インターネットにて24時間365日 全景の富士山カメラと道路にズームされている道路カメラの2つが配信されている。地図
概要薩?峠周辺の空中写真。国道1号、東名高速道路、東海道本線が海岸線沿いを沿うように走る。1988年撮影の5枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
市内興津地区と由比地区の境界付近は、薩?山が海へと突き出す地形となっており、古くは海岸線を波にさらわれぬよう駆け抜ける必要があった。このため、同様の状態であった新潟県・富山県境の親不知と並び称されたり、東海道の三大難所として語られてきた。このため1607年の朝鮮通信使の江戸初訪問の際に山側に迂回コースとして造られたのが薩?峠である。駿河湾に面した清水港の北に位置する薩?峠は標高93 mの小さな峠で、峠道はミカン畑のある急斜面の細道ながら、興津駅と由比駅の間には遊歩道も整備されている[1]。
峠にある展望所からの富士山と駿河湾の景色は、歌川広重の浮世絵『東海道五十三次・由比』にも残されるほどの絶景で[1]、東名高速道路の宣伝材料など、さまざまな素材にも利用されている。また、ここから見渡せる由比地区西部が東名高速道路と国道1号およびJR東海道本線が並行して走る区間で交通の要所でもあることなどから、通過交通の現況を一覧できるポイントとして、在静の民放(静岡放送、テレビ静岡)やNHK静岡放送局が、薩?峠からほど近い場所に情報カメラを設置している。
薩?という名称が「去った」と読めて語感が悪いという理由で、江戸時代末期の和宮の徳川家茂への婚儀の行列はここを通らず、中山道を通過した。
また、百人一首で知られる和歌、田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける -山部赤人(巻3-318)
における「ゆ」は現代語の「から」に相当する助詞だが、「田子の浦を過ぎた」と解釈することも可能で、東海道五十三次の蒲原、由比、興津の辺りで富士山を見る高台、薩?峠辺りと訳す事ができ、ここで詠まれたのではないかとも言われる[要出典]。
また、東海道の難所であった薩?峠は軍事的にも重要視され、1351年には足利尊氏と弟の直義が、1568年には武田信玄と今川氏真及び北条氏政の援軍がこの峠で戦っている。 現在の国道1号は海岸線を沿うように走っており、薩?峠は主要道路の位置づけから外れている。道幅は1車線ギリギリという狭さではあるが、峠の最高地点には石碑や駐車場などが整備されている。浮世絵にクロマツが点在する姿で描かれていたはげ山は、ミカンを中心とした果樹や雑木林が広がる斜面となっている。
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