蔦谷喜一
蔦谷喜一(つたや きいち、1914年2月18日 - 2005年2月24日)は画家、塗り絵作家。東京都出身[1]。 1914年(大正3年)、京橋の紙問屋「蔦谷音次郎商店」の9人兄弟の7番目(五男)として生まれる。 1931年(昭和6年)、東京市立京橋商業学校を中退し、画家を志し川端画学校で学ぶ。 1940年(昭和15年)、友人が持ち込んだ「ぬりえ」の仕事をフジヲの名で始める。フジヲは、夏目漱石の「虞美人草」の藤尾からとった。しかし翌1941年(昭和16年)には、太平洋戦争の勃発によりぬりえの仕事を休止する。 1947年(昭和22年)、キイチ/KIICHIの名でぬりえの制作と販売を始める。その後、石川松声堂
生涯
1965年(昭和40年)、リースや即売用の日本画の美人画や、肖像画を書き始める。
1972年(昭和47年)、きいちファンであったデザイナー長谷川義太郎と初めて出会う。長谷川の店「文化屋雑貨店」で原宿の雑貨のイラストを担当するようになる[4]。
1978年(昭和53年)、長谷川の働きかけで資生堂ザ・ギンザのギャラリーにて「きいちのぬりえ展」が開催され、第2次きいちブームの火付け役となる。
1985年(昭和60年)頃から、ひな祭りや羽根つき、七夕など、主に日本の文化や風習ななどを取り入れた童女の姿を描く「童女百態シリーズ」に取り組み始める。
1993年(平成5年)、テレビ朝日キャンペーンのポスターに起用され、駅張りや電車内吊り広告、新聞紙上でのカラー広告、テレビCMになり、同年の朝日広告賞・多色部門賞を受賞。雑誌広告批評などでもインパクトの強い作品として評価され、話題となった。
2002年(平成14年)、フランスのパリのカルティエ現代美術財団にて村上隆がキュレーションする「Coloriage(ぬりえ)展」に出品[5]。
2005年(平成17年)、埼玉県春日部市の病院にて老衰により死去(享年91)。 東京都荒川区町屋には「きいちのぬりえ」を中心としたコレクションを展示するぬりえ美術館があった。 美術館は、2022年8月で開館20周年を迎える。節目の年にあたる同年10月30日をもって閉館した[6]。 ぬりえ美術館
ぬりえ美術館
荒川区町屋位置図
施設情報
専門分野ぬりえ
所在地〒116-0001
東京都荒川区町屋4-11-8
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度44分52秒 東経139度46分36秒 / 北緯35.74778度 東経139.77667度 / 35.74778; 139.77667
外部リンク ⇒ぬりえ美術館
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開館日・土日のみ
開館時間
夏時間(3月?10月)12:00?18:00(入館は17:30まで)
冬時間(11月?2月)11:00?17:00(入館は16:30まで)
アクセス
東京メトロ千代田線町屋駅(1番出口)または京成本線町屋駅、徒歩15分
都電荒川線町屋二丁目駅より徒歩7分
都電荒川線東尾久三丁目駅より徒歩7分
都営バス「北千住?駒込病院」行き 大門小学校前バス停より徒歩5分