蔡叔度
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蔡叔度(さいしゅくど)は、西周の諸侯であるの初代の君主。姓はで、名は度。
概要

文王の五男として生まれた。武王を滅ぼすと、叔度は蔡(河南省駐馬店市上蔡県の南西)に封じられ、帝辛(紂王)の子の武庚を監視する任を与えられた。成王が即位すると、幼年であったため周公旦が摂政した。蔡叔度は周公旦が朝政を専断するのが不満で、管叔鮮とともに三監の乱を引き起こした。戦争に敗れると、周公旦によって郭鄰に流され、配所で死去した。

子の蔡仲が蔡に封じられて、祭祀を継いだ。
参考文献

司馬遷史記』管蔡世家第五

陸峻嶺・林幹合編『中国歴代各族紀年表』(1982年、台北、木鐸出版社)

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更新日時:2017年4月26日(水)08:22
取得日時:2019/07/21 20:00


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