蔚山広域市
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「蔚山」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「蔚山 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

蔚山広域市略称: Ulsan, ??, 蔚山
蔚山市南区達洞の様子
蔚山広域市の旗
蔚山広域市の紋章
位置

地図

各種表記
ハングル:?????
漢字:蔚山廣域市
日本語読み仮名:うるさんこういきし[# 1]
片仮名転写:ウルサン=グァンヨクシ
ローマ字転写 (RR):Ulsan-Gwangyeoksi
統計(2023年
面積:1,060.79 km2
総人口:1,103,661[7]
男子人口:567,153 人
女子人口:536,508 人
人口密度:1,040 人/km2
世帯数:490,690 世帯
行政
国: 大韓民国
下位行政区画:4区1郡
ISO 3166-2:KR-31
行政区域分類コード:26
蔚山広域市の木:イチョウ
蔚山広域市の花:ナシ
蔚山広域市の鳥:シラサギ
自治体公式サイト: ⇒蔚山広域市
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蔚山広域市庁

蔚山広域市(ウルサンこういきし、: ?????、: Ulsan)は、大韓民国南東部にある広域市
地理

日本海に面し、釜山広域市から北へ70km離れている。区の大部分は工業都市、郡部は農村も存在する典型的な都市・農村の複合都市になっている。

郊外の蔚州郡は山岳地帯(嶺南アルプス、ヨンナムアルプス)から海まで広がり、1000メートル以上の高い山がある一方、海水浴場もあるなど起伏に富んでいる。
歴史
古代

三韓時代には辰韓に属して、西南部地域には于尸山国があった。中部地域には屈阿火村が形成されている。新羅時代には中部地域の屈阿火県と西部地域の居知火県、西南部地域の于火県、東北部地域の律浦県、南部地域の生西良郡があった。統一新羅時代の757年に屈阿火県が河曲県に、居知火県が?陽県に、于火県が虞風県に、律浦県が東津県にそれぞれ改称された。
中世

高麗時代には940年に河曲・東津・虞風の3県を統合して興麗府に昇格した。995年に全国を499県に分割する地方行政区域改編を断行、興麗府を恭化県に格下げして別号を鶴城とし、1018年に恭化県に?陽県・機張県東?県を統合して蔚州に改編、1143年に?陽県が彦陽県に改称した上で州県に昇格、1304年に機張県が梁州に編入している。李氏朝鮮時代には1405年に東?県が州県に昇格、1413年に蔚州を蔚山郡に改称して初めて蔚山という称号が登場するようになった。

蔚山広域市北区塩浦洞に1426年から1509年まで塩浦倭館が設置され、中世の三浦倭館のひとつであった。蔚山旧市街から湾を隔てた南岸にあり、現代自動車工場敷地となっている。当時は蔚山旧市街に置かれた蔚山郡と慶尚左道兵馬節度使の管轄下にあった。1494年には約150人の日本人が住み、1509年の三浦の乱によって閉鎖された。

文禄の役で、1593年、現在の市の南部の海岸近くに加藤清正により西生浦倭城が築かれた。慶長の役では、1597年に現在の市の中心部に蔚山倭城浅野幸長らにより築かれる。築城まもなく朝鮮・明連合軍が多勢をもって当城を包囲したが、日本側は撃退に成功した(蔚山城の戦い)。
近代

1598年には蔚山郡に彦陽県を統合して蔚山都護府に昇格した。1612年に彦陽県を再び分離した。1895年全国を23府と336郡に改編したのに伴って蔚山都護府を蔚山郡に、彦陽県を彦陽郡に改称した。

1910年からの日本統治時代には工業都市・捕鯨基地として繁栄し、1914年府・郡を整理・廃合する地方制度改編の時彦陽郡を蔚山郡に統合した。1931年には蔚山面が蔚山邑に昇格した。1937年には方魚津面が方魚津邑に昇格している。
現代

大韓民国成立後、1950年に勃発した朝鮮戦争の時、開戦から3ヵ月後の9月10日北朝鮮軍が蔚山付近まで迫った。

朝鮮戦争終結後も国内有数の工業都市として発展し、1962年には蔚山邑(のちの中区)・方魚津邑(のちの東区)・大?面(のちの南区)・下廂面(のちの北区の南部)の全地域と青良面の斗旺里、凡西面の無去・茶雲里、農所面(のちの北区の西北部)の松亭・花峰里が蔚山特定工業地区に指定・公布された。

蔚山特定工業地区はその後蔚山市に昇格、残り13個面は蔚州郡に改称された。1985年蔚山市に区制が実施されて中区と南区を設置し、1988年方魚津出張所が東区に昇格した。1991年蔚州郡を蔚山郡に改称した。1995年蔚山市・郡を蔚山市に統合し、蔚山郡を蔚州区に改編した。1997年蔚山広域市に昇格。北区が新設され、蔚州区が蔚州郡に復郡されて4区1郡体制になった。

2002年に行われた日韓共催のFIFAワールドカップの開催地となり、蔚山文殊サッカー競技場ブラジルトルコ戦(グループリーグ)、アメリカドイツ戦(準々決勝)など3試合を開催した。

1962年6月1日 - 蔚山郡蔚山邑・方魚津邑・大?面・下廂面および青良面・凡西面・農所面のそれぞれ一部を蔚山市に昇格。

1985年7月15日 - 中区南区設置。(2区)

1988年1月1日 - 中区の方魚津出張所管轄区域を東区として分離。(3区)

1995年1月1日 - 蔚山市・蔚山郡が合併し、蔚山市が発足(4区14面)。

蔚山郡の区域をもって、蔚州区を設置。


1995年3月2日 - 農所面が農所邑に昇格(4区1邑13面)。

1996年2月1日 (4区3邑11面)

温山面が温山邑に昇格。

彦陽面が彦陽邑に昇格。


1997年7月15日 - 慶尚南道蔚山市が蔚山広域市に昇格。(4区1郡)

蔚州区を蔚州郡に改編。

中区の一部および蔚州郡農所邑・江東面をもって北区を設置。

蔚山の市街地風景
行政・政治

工業都市として多くの労働者がおり、労働組合の活動が活発であるため、近くの昌原市と共に進歩勢力が強い地域である。「進歩政治の1番地」と呼ばれる[8]
市長

第7代:宋哲鎬
(朝鮮語版)(???、任期:2018年7月1日?現在)
歴代市長については蔚山広域市長を参照。
市議会

定数:22議席(地域区19+比例代表3)地域区は
小選挙区制

党派別議席数(2018年7月1日現在)合計内訳
共に民主党自由韓国党
合計22175
内訳地域区19154
比例代表321
出典: ⇒蔚山広域市議会ホームページ 2019年2月8日閲覧。


中区(??) Jung-gu

南区(??) Nam-gu

東区(??) Dong-gu


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