logo蓮池城
(高知県)
城郭構造平山城
天守構造なし
築城主蓮池権守家綱
築城年嘉応2年(1170年)
主な改修者大平氏
主な城主大平氏
廃城年1600年頃
遺構石垣、土塁、曲輪、空堀
指定文化財土佐市指定史跡
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度29分36.2秒 東経133度24分54.4秒 / 北緯33.493389度 東経133.415111度 / 33.493389; 133.415111
蓮池城(はすいけじょう)は、高知県土佐市にあった日本の城。土佐市指定史跡[1]。嘉応2年(1170年)に成立し、鎌倉時代-戦国時代は大平氏の支配となり、山内氏入国の頃には廃城となった。 土佐市中心部の西部に位置し、構造は平野の中の小丘陵の平山城である。 蓮池城は、平家の有力家人であった蓮池権守家綱が嘉応2年(1170年)に築城したものである。 日本の城一覧
概要
歴史・沿革
蓮池氏
大平氏
治承・寿永の乱により家綱は夜須七郎行宗に討たれ、蓮池城周辺一帯は近藤国平に与えられた。
近藤国平の子孫が大平氏を名乗り350年にわたり蓮池城主となる。
最盛期には多くの国人を従え数々の支城を持つ。
大平氏は天文15年(1546年)に一条氏に敗れ蓮池城を失う。
大平氏以後
1555年ごろ 本山氏が一条氏から奪取
永禄6年(1563年)に本山氏が朝倉城を失い本拠地の本山に退去し、蓮池城は長宗我部氏の手に落ちた。
その後、吉良親実が城主になる[2]。
長宗我部氏は四国の覇者となるが豊臣秀吉に敗れ土佐一国に減知され、戸次川の戦いで大敗を喫し、関ヶ原の戦いは西軍に付き土佐に生還するも改易された。
山内一豊入国のころ、廃城となった。
脚注^ ⇒「土佐市の文化財」土佐市公式HP
^ https://kotobank.jp/word/-1071080
関連項目
参考文献
高知県の歴史 山川出版社 p33、p82年越山の戦いと源平争乱,p133,p151,p152
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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