蓮實重彥人物情報
生誕 (1936-04-29) 1936年4月29日(88歳)
日本・東京府麻布区六本木町
(現:東京都港区六本木)
出身校東京大学
配偶者蓮實シャンタル(Chantal Hasumi)
子供蓮実重臣
学問
研究分野フランス文学、表象文化論、映画批評
研究機関東京大学
主な受賞歴読売文学賞 評論・伝記賞 『反=日本語論』(1978年)
芸術選奨 文部大臣賞 『凡庸な芸術家の肖像』(1989年)
芸術文化勲章 コマンドゥール(1999年)
川喜多賞(2007年)
三島由紀夫賞「伯爵夫人」(2016年)
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蓮實 重?(はすみ しげひこ、1936年(昭和11年)4月29日 - )は、日本の文芸評論家・映画評論家・フランス文学者・小説家。
専門はフローベール研究だが、ロラン・バルトやミシェル・フーコーなどフランス現代思想が1970年代から日本へ紹介されるさいに中心的役割を果たす1人となったほか、近現代文学・映画評論の分野でも数多くの批評を手がけている[1]。
1980年代以降は各国の映画製作者とも幅広く交流し、小津安二郎など日本映画の世界的再評価に大きく貢献した。東京大学教養学部教授(表象文化論)、第26代東京大学総長(1997年-2001年)を歴任。東京大学名誉教授[2]。 蓮實は、雪舟などの研究で知られた日本美術史家・蓮實重康の息子として、1936年に東京で生まれた[3]。東京大学文学部フランス文学科へ進学、パリ大学ソルボンヌへ留学する中でとくに作家フローベールの研究を進めるが、同時にドゥルーズやデリダなど当時パリで活躍していた思想家を精力的に翻訳・紹介してゆく[3]。 フランス文学者としての主な業績に『凡庸な芸術家の肖像 マクシム・デュ・カン論』(1988)や『「ボヴァリー夫人」論』(2014)などがあり、フランス現代思想の紹介者としては『批評あるいは仮死の祭典』(1974) や『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』(1978) を刊行[1]。またフーコーの主要な発言を網羅した『ミシェル・フーコー思考集成』全10巻を監修している[4]。 一方、蓮實を一般に広く知られる存在としたのは、アカデミズムの外で行われた膨大な文芸批評・映画評論である[5]。文芸批評では夏目漱石や大江健三郎・藤枝静男・安岡章太郎などに注目、『文藝』などで多数の時評を手がけ(『絶対文藝時評宣言』1994、『文学批判序説』1995)、またロラン・バルトやデリダらフランス現代思想に強く影響された文学理論の研究も行った(『「赤」の誘惑: フィクション論序説』2007など)。 映画評論では1960年代からゴダールやトリュフォーの読解・翻訳を開始、さらにフランスの『カイエ・デュ・シネマ』誌上で行われていたゴダールらの批評に接続する形で、当時まだ低俗な娯楽とみなされていたハリウッドの西部劇などB映画 (B-film [英語版
概要
現役の映画製作者らとも熱心にかかわり、ヴィム・ヴェンダースら著名な監督との交友で知られるほか、2001年にはヴェネツィア国際映画祭で小部門ながら審査委員長をつとめている[8]。また1970年代に非常勤講師として担当した映画に関する授業の聴講生から、後年現代日本映画の代表的な監督が現れた(黒沢清・青山真治・周防正行など)ことも、近年になって注目されるようになった[9]。
また小説家として『陥没地帯』(1986)・『伯爵夫人』(2016) を発表している。 伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2024年4月) この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 1936年 - 東京府麻布区六本木町(現在の東京都港区六本木)に生まれる。 1943年 - 学習院初等科へ入学。 1949年 - 学習院中等科へ進学。1年生のころに「同窓の三島由紀夫の『仮面の告白』などを読み、その運動神経のなさを軽蔑する」[3]。陸上競技部に入り、円盤投で新宿区で優勝。東京都では5位になった。 1952年 - 学習院高等科へ進学。 1955年 - 大学受験に失敗。研数学館で浪人生活を送る。 1956年 - 東京大学教養学部文科二類(現・三類)へ入学。
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出典検索?: "蓮實重彦"
1930?50年代