この項目では、石川達三の小説について説明しています。山下達郎の楽曲については「僕の中の少年#収録曲」をご覧ください。
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『蒼氓』(そうぼう)は、石川達三の中編小説。1935年4月「星座」に発表され、第1回芥川賞を受賞。同年10月改造社より同作を表題とした短編集が刊行。その後1939年2月から7月までに「長篇文庫」に第二部、第三部が掲載され、長編を成した。ブラジル移民を余儀なくされた貧農たちの悪戦苦闘の日々の悲惨さを、社会的正義感から客観的筆致で描写した作品で、第一部は神戸の移民収容所を描いたもの。1937年映画化、1960年テレビドラマ化された。 第1部は移民収容所から神戸出港までを描いたもので、1932年に雑誌『改造』の懸賞小説募集に応募するも選外佳作となり、翌年加筆して再度発表する予定が、掲載予定だった雑誌が廃刊となって日の目を見ずにいたところ、1935年4月に、新早稲田文学
概要
第2部は船内の様子、第3部はブラジル到着後が描かれ、渡航した移民たちが、現地に根をおろそうと決意するところで終わっているが、作者の石川は半年ほどで帰国している。
1937年、熊谷久虎監督により映画化されている。 作者の石川は、移民促進のための国策会社「海外興業株式会社」が発行する雑誌『植民』編集部で働いたことがあり、1930年には、ブラジルまでの船賃「三等 200 円」の補助金の出る「政府補助単独移民」として移民船「らぷらた丸」で渡伯した[4][1]。作家志望だったがまだ自信もなく、放浪のつもりでブラジル行きを決めたが、移民志願者が集まる神戸の海外移民収容所で、「国家が養い切れずに、仕方なしに外国へ奉公にやられる人々の悲しい現実」を目の当たりにして衝撃を受け、いつかこれを書かなければならないと思ったという[1][4]。他の移民たちとともに45日間の船旅ののち、「サント・アントニオ農場」にコロノ(契約移民)として入植し、1か月ほどで農場を去ってサンパウロに滞在し、リオデジャネイロから北米を回って帰国した[1]。『蒼氓』に先立ち紀行文『最近南米往来記』を上梓し、移民政策を棄民と糾弾し、収容所を「国家の無力を物語る国辱的建築物」と表現した[3]。 1937年2月18日公開。製作は日活。
らぷらた丸
映画
スタッフ
監督:熊谷久虎
脚本:倉田文人
キャスト
佐藤夏:黒田記代
孫市:伊沢一郎
門馬勝治:星ひかる
義三:中村英雄
くら:阪東三江紫
大泉:島耕二
大泉の女房:沢村貞子
村松:広瀬恒美