蒸気機関
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方
出典検索?: "蒸気機関" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2015年10月)

蒸気機関(じょうききかん)は、ボイラーで発生した蒸気のもつ熱エネルギー機械的仕事に変換する熱機関の一部であり、ボイラ等と組み合わせて一つの熱機関となる。作業物質である水を外部より加熱する外燃機関に分類される。

蒸気機関には、蒸気をシリンダに導き、ピストンを往復運動させる往復動型のものと、蒸気で羽根車をまわすタービン型のものとが存在する。本稿では主として往復動型のものを説明する。タービン型のものについては蒸気タービンを参照のこと。
歴史ヘロンの蒸気機関

古代アレクサンドリアの工学者・数学者であったヘロン10年頃 - 70年頃)が考案したさまざまな仕掛けの中に、「ヘロンの蒸気機関」と呼ばれるものが存在する。これは、蒸気を噴出し、円周で回転力を得るものである。これが記録に残っているものとしては人類史上に蒸気機関が登場した最初のものであるとされる。なお、ヘロンの蒸気機関は蒸気タービンの一種であり、レシプロ式のものではなかった。
ドニ・パパンの蒸気機関模型パパンの蒸気機関

フランス生まれでのちにイギリス等へ移った物理学者であるドニ・パパン(Denis Papin 1647年-1712年頃)は、ヘッセン=カッセル方伯領(現ドイツ)に滞在していた1690年に、当時知られていた大気の力を動力として利用する手段として蒸気を用いる方法を考案して、その模型を製作し、ロンドン王立協会で発表した。これは、ゲーリケマクデブルクの半球などで実証されていた大気の力を取り出すための真空を実現するために、水の蒸気の凝縮現象を利用するというもので、真空と大気圧との差をピストンとシリンダーを用いて取り出そうとしたものであり、その後の蒸気機関の基本的な原理となった。しかし、パパンの模型はシリンダーそのものを火で加熱し、水をかけて冷却するというものであり、実用には遠いものであった。セイヴァリが別の機関を発表した後は、パパンもセイヴァリ類似の方式を試みるようになった。
セイヴァリの"火の機関"セイヴァリの蒸気機関

イギリスの海軍軍人で発明家のトマス・セイヴァリ(Thomas Savery、1650年頃-1715年)は、1698年に「火の機関(セイヴァリ機関)」を開発し、国王の前での実験に成功し、特許を取得した。これは、ドニ・パパンの蒸気機関とは異なってピストンやシリンダなどは持たず、容器内の蒸気の凝縮による負圧で下方の配管から水を吸い上げ、それを再度蒸気の圧力で押しだして別の配管で上方へ排出するものであった。セイヴァリはこれを鉱山の排水その他に活用しようとしたが、いくつかの原理的欠点があり、低揚程で小水量の限られた用途でしか成功しなかった[1]。しかし、彼が取得した特許は「火力によって揚水する装置」という実に広範かつ無限定のものであったため、その後のニューコメンらの機関は1733年の失効に至るまでの間この特許のもとで建造・稼動することとなった[2]
ニューコメンの蒸気機関ニューコメンの蒸気機関

イギリスの発明家・技術者であるトマス・ニューコメン(Thomas Newcomen、1664年2月24日-1729年8月5日)は、1712年に、鉱山の排水用として実用になる最初の蒸気機関を製作した。

この蒸気機関は、パパンやセイヴァリの蒸気機関をさらに発展させたものであり、ボイラとは別に設けたシリンダーの蒸気に冷水を吹き込んで冷やし、蒸気が凝縮して生じる真空(大気圧)でピストンを吸引し、頂部の大きなてこを介して、その力で坑道からの揚水ポンプを駆動するものであった。原理的にはパパンの蒸気機関のシリンダーからボイラーを分離して、継続的に運転できるようにしたものであり、ニューコメン独自のアイデアとして、蒸気中へ冷水を直接噴射して冷却する方式、大てこの動きを利用した自動運転方式等が挙げられる。その後の産業革命の動力を担った蒸気機関の実質的な発明とされている[3]

セイヴァリは大気圧を超える蒸気の圧力を用いて水を排出しようとしたが、ニューコメンは大気圧の蒸気とその凝縮により生じる真空だけを利用した。当時の技術では、ある程度の高圧に耐え得るボイラが作れなかったため、この方式だけが実用化できた。発明の動機がニューコメンが住んでいた村の鉱山のわき水を汲み出す、自動の「つるべ井戸」であったために[要出典]往復運動を回転運動に変えていない。運転速度は、毎分12サイクル程度であったという。なお冷水で冷やすときシリンダーも冷えるので燃料効率は低く、掘り出した石炭のうち実に1/3程度がこの揚水ポンプのために消費され,熱効率は1%にも達しない程度であった.

ニューコメン機関は1733年までセイヴァリの特許のもとで建造され、その後も含めて多くの技術者・科学者が建造・改良に関わった。1769年にワットがその改良特許を取得して以降も、ワット機関より多くのニューコメン機関が建造され、18 世紀の間でイギリスおよびヨーロッパの各地で建造されたニューコメン機関は、1500 から 2000 台にのぼった。
動作
錘Kの重さでピストンDが上がり、ボイラーAの蒸気がシリンダーBの中に入る。

ピストンDが上死点になったところで栓Cが閉じられる。

タンクLから管Pを通ってシリンダーB内に冷水が導かれ、シリンダーB内の蒸気が水に戻される。この水は管Rを通ってSに溜められる。

3.によりシリンダー内部の圧力が下がり、大気圧によってピストンDが下げられる。(負圧の発生)

4.のピストンDが下がる時の力により、反対側にある錘KとピストンMを引き上げる(負圧の利用)。ピストンMによって汲み上げられた水の一部はNを通ってタンクLに溜められ、3.の行程に使われる。

ピストンDが下死点になったところで栓Cが開いて再び1.に戻り、このサイクルを繰り返す。


参考

細川武志『蒸気機関車メカニズム図鑑』グランプリ出版 10頁, .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}
ISBN 978-4-87687-317-3


ワットの蒸気機関と普及ワットの蒸気機関

イギリス・スコットランドのエンジニアであるジェームズ・ワット(James Watt, 1736年1月19日 - 1819年8月19日)は、1769年に新方式の蒸気機関を開発した。これはニューコメンの蒸気機関の効率の悪さに目をつけて改良したもので、復水器で蒸気を冷やす事でシリンダーが高温に保たれることとなり効率が増した。さらに負圧だけでなく正圧の利用、往復運動から回転運動への変換、フィードバックとしての調速機の利用による動作の安定などの改良をしている。

蒸気機関の誕生以前の炭鉱ではが動力として利用されていたが、飼葉代が高騰した際に、炭鉱経営者が馬に代わる動力として安価に入手出来る石炭を利用できる蒸気機関に着目したことが蒸気機関の普及を促進させたとも言われている。またワットは、定置動力としての蒸気機関を市場に供給するにあたり、後年における設備リース的な手法でエンジンを顧客に提供する手段も用いて普及を推し進めた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:47 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef