蒸気機関車(じょうききかんしゃ)は、蒸気機関を動力とする機関車のことである。
日本では Steam Locomotive の頭文字をとって、SL(エスエル)とも呼ばれる。また、蒸気機関車、または蒸気機関車が牽引する列車のことを、汽車(きしゃ)とも言う[注釈 1][注釈 2]。また、明治時代には蒸気船に対して陸の上を蒸気機関で走ることから、「陸蒸気(おかじょうき)」とも呼んでいた。第二次世界大戦の頃までは汽缶車(きかんしゃ)[注釈 3]という表記も用いられた(「汽缶」はボイラーの意)。
歴史リチャード・トレビシックによる1802年製作の蒸気機関車1829年にレインヒル・トライアルで勝利したジョージ・スチーブンソン製作のロケット号
蒸気機関車の発明以前から鉄道を敷き台車を荷役動物に曳(ひ)かせるものはあった[注釈 4]。馬車鉄道などである。
1802年、リチャード・トレビシックがマーサー・ティドヴィルのペナダレン製鉄所で高圧蒸気機関を台車に載せたものを作った。これが世界初の蒸気機関車とされている。1803年、トレビシックはこの蒸気機関車の特許をサミュエル・ホンフレイに売却。ホンフレイは、トレビシックの蒸気機関車が10トンの鉄を牽引して、とある区間(約16km)を運べるか賭けを行い、1804年2月21日、ペナダレン号が10トンの鉄と5両の客車、それに乗った70人の乗客を4時間5分で輸送することに成功した。
1814年、ジョージ・スチーブンソンがキリングワースで石炭輸送のための実用的な蒸気機関車を設計し「Blucher」(ブリュヘル号)と名付け[注釈 5]、ウェストムーアの自宅裏の作業場で製作し、1814年7月25日に初走行に成功。時速6.4kmで坂を上り30トンの石炭を運ぶことができるものであった。
蒸気機関車の発明・開発に関わった主要な人物
リチャード・トレビシック
1804年にイギリスで蒸気機関車を走行させる。鉄道史上初とされている。
ジョージ・スチーブンソン
公共鉄道で走行する最初の蒸気機関車「ロコモーション号」を制作。さらに「ロケット号」で蒸気機関車の基本設計を確立した。
ロバート・スチーブンソン
ジョージ・スチーブンソンの息子。父とともに蒸気機関車の実用運転に貢献。
マーク・イザムバード・ブルネル
シールド工法でロンドンの地下鉄を建設した。
イザムバード・キングダム・ブルネル
広軌のグレートウエスタン鉄道を建設した。
マシュー・マレー
1812年、軌条の側面がラックレールの軌道を走る機関車サラマンカ号を走らせた。
ナイジェル・グレズリー
グレズリー式連動弁装置を開発。またA3形や蒸気機関車の速度記録を持つマラード号を設計した。
アンドレ・シャプロン
キルシャップの開発やボイラの内的流線化等の、蒸気機関車の科学的改良を初めて行った。のちにリビオ・ダンテ・ポルタら蒸気機関車技術者に多大な影響を与えた。
世界各国の歴史
アメリカ合衆国の鉄道史
イギリスの鉄道史
ドイツの鉄道史
フランスの鉄道史
日本での歴史
ペリー提督が幕府に献上した蒸気車
日本の蒸気機関車史
国産の国鉄蒸気機関車
軽便鉄道・産業鉄道
鉄道省、そして規模の大きな私鉄向けの蒸気機関車は規格化・国産化された。しかし資本力の小さな鉄道向けの小型蒸気機関車までは国は関与しなかった。軽便鉄道、産業鉄道に向けては主にドイツ、コッペル社の小型蒸気機関車が廉価で高品質であったこともあり、第一次世界大戦までは大量に輸入され続けた。
その後は日本車輌製造、雨宮製作所、あるいは深川造船所などのメーカーによって国産化が進み、第二次世界大戦期には立山重工業などの手による規格化設計機関車の量産も実施された。
軍用鉄道
鉄道連隊演習線
蒸気機関車の原理
火室
灰受け皿
水 (ボイラー内部)
煙室
運転室
炭水車
蒸気溜
安全弁
加減弁
煙室内の加熱管寄せとそれに付属した過熱管
ピストン
ブラスト・パイプ
弁装置
ギュレータ・ロッド
ドライブ・フレーム
従輪ポニー台車[注釈 6]
先輪ポニー台車[注釈 6]
ベアリング及び軸箱
板ばね
ブレーキ片
空気ブレーキ・ポンプ
(前部) 中央連結器
汽笛
砂箱
蒸気機関車は湯を沸かして発生した蒸気を動力源として走行する。
ここでは主に世界各国で広く使用されていた、煙管式ボイラーとシリンダーを使用するタイプの蒸気機関車について説明する。
一般的な蒸気機関車を走らせるのに必要な機構としては以下のものがあげられる。
石炭等の燃料を効率よく燃やして、高温の燃焼ガスを作る火室。
火室で発生した燃焼ガスの持つ熱エネルギーを利用して水を沸騰させ、高温高圧の蒸気を作るボイラー。
シリンダーに送る蒸気の方向や量を制御する各種弁装置。
蒸気のエネルギーを往復運動のエネルギーに変えるシリンダー。
シリンダーの往復運動を回転運動に変換し駆動力を発生させるロッドと動輪。
火室切断展示物の火室 (左) 及びボイラー (右)詳細は「火室 (蒸気機関)(英語版) 」を参照
火室は燃料を燃焼して高温のガスを作る場所である。火室の底(床)部分は燃え滓(かす)の灰が落ちるように格子状(いわゆる火格子)に作られている。
蒸気機関車の出力を決める第一の要因は「火室でどれだけ大きな熱エネルギーを発生できるか」であり、その指標として火室の平面積を表す火格子面積が使われる。火格子面積は狭軌が一般的であった日本の場合、明治初期のころの機関車で1m2以下、それ以降順次増大しD51形で3.27m2まで大きくなった[注釈 7]が、火室への燃料供給は人力(シャベル)による投炭であった。さらに大型(日本最大)で戦時の貨物増大に対応して製作されたD52形では火格子面積は3.85m2となったが、これは1人で人力投炭を行うには限界に近い負担を強いたため、第二次世界大戦後、同形式のボイラーを流用して製作されたC62形などと共に、蒸気エンジンで駆動される自動給炭装置(メカニカルストーカー)が装備された。ちなみに標準軌を採用した南満洲鉄道で特急列車「あじあ」を牽引したパシナ型機関車の火格子面積は6.25m2で、ストーカーが標準搭載されていた。