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出典検索?: "日本の気動車史"
日本の気動車史(にほんのきどうしゃし)では、日本における気動車発達過程の概略を記述する。目次
1 戦前期
1.1 蒸気動車
1.2 ガソリンカーの出現
1.3 ガソリンカーの一般化
1.4 鉄道省のガソリンカー
1.5 ディーゼルカー
1.6 気動車の新製禁止
2 戦中・戦後燃料統制期
2.1 戦時中の気動車運行
2.2 代用燃料(代燃)車
2.2.1 ガス発生炉搭載車
2.2.2 ガスカー(天然ガス動車)
2.3 終戦後の気動車
3 戦後発展期
3.1 ディーゼルカーの一般化
3.2 液体式気動車
3.3 私鉄の気動車開発とメーカーの独自技術
3.4 優等列車分野への進出
4 1960年代以降の展開
4.1 大出力エンジン開発
4.2 ガスタービン動車の開発
4.3 気動車の生産・開発の停滞
5 20世紀末からの質的改善
5.1 エンジン性能の改善
5.1.1 IHI原動機(旧・新潟鐵工所)
5.1.2 小松製作所
5.1.3 カミンズ
5.2 冷暖房システムの変化
5.2.1 発電機駆動用定速回転装置
5.3 既存私鉄気動車の質的改善
5.4 ハイブリッド気動車
5.5 蓄電池電車
5.6 電気式気動車
5.7 燃料電池車両
5.8 今後の課題
6 関連項目
7 注釈
8 関連項目
戦前期
蒸気動車 瀬戸自動鉄道のセルポレー式蒸気動車。 工藤式蒸気動車の1例。鉄道院ジハ6006→国鉄キハ6401 三河鉄道の工藤式蒸気動車101号。ほどなくして阿南鉄道に売却され、同社のジハ1形となった。
その歴史の初期には、蒸気機関を装備した「蒸気動車」が存在し、日本でも1900年代から第二次世界大戦中まで若干が用いられていた。床上の一端に小型ボイラーを装備、この側の台車にシリンダーを取り付けて駆動するものである。
日本で明確に導入された最初の例はフランス製の「セルポレー式自動客車」である。早くも1899年に日本に持ちこまれて、同年7月以降東京馬車鉄道での構内試運転が行われた記録がある。これを導入しようと目論んだ事例も幾つかあったがほとんどが頓挫した。
セルポレー式蒸気動車を実用導入した最初にして唯一の例は、1905年の瀬戸自動鉄道(後の瀬戸電気鉄道、現名古屋鉄道瀬戸線)であった。この小型車は4輪車で、セルポレーの特許による高性能なフラッシュボイラーを搭載していたが、当時の日本の技術では構造が複雑で使いこなせず、整備困難で、故障も多発した。本来市内の軌道線向けの車両であり、郊外路線で勾配の多い瀬戸線の路線条件にも合わなかった。発車前に給炭しておけば終点まで燃料補給不要とされたが、実際に運用すると途中で燃料切れにより立ち往生することもあった。このように実用上問題が多かった蒸気動車はほどなく放擲され、同線は1907年には電化された。瀬戸電気鉄道での蒸気動車運用記録は1911年が最後である。
続いて1907年にはハンガリーのガンツ社の設計になる大型のガンツ式蒸気動車が関西鉄道に2両導入され、鉄道国有化に伴ってこれを買収した国鉄で使われたほか、1909年までに近江鉄道(2両)、河南鉄道(現・近畿日本鉄道道明寺線・長野線など、1両)[1]、博多湾鉄道(現・九州旅客鉄道香椎線、2両)に導入された。