蒲郡クラシックホテル
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蒲郡クラシックホテル

ホテル概要
正式名称蒲郡クラシックホテル
設計久野節、 村瀬国之助
施工大林組
運営呉竹荘
前身蒲郡ホテル、蒲郡プリンスホテル
階数地下1 - 5階
部屋数27室
駐車場200台
最頂部5階 展望室(非公開),4階 機械室(非公開)
開業2012年平成24年)3月30日
最寄駅JR東海名鉄 蒲郡駅
最寄IC音羽蒲郡I.C.
所在地〒443-0031
愛知県蒲郡市竹島町15-1
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度48分57.42秒 東経137度14分8.37秒 / 北緯34.8159500度 東経137.2356583度 / 34.8159500; 137.2356583座標: 北緯34度48分57.42秒 東経137度14分8.37秒 / 北緯34.8159500度 東経137.2356583度 / 34.8159500; 137.2356583
公式サイト公式サイト
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蒲郡クラシックホテルつつじまつりの様子

蒲郡クラシックホテル(がまごおりクラシックホテル)は、愛知県蒲郡市にある三河湾国定公園内の景勝地「竹島」の対岸、海沿いの標高30mほどの高台(鵜殿氏が築いた府相城址)に建つ、戦前に建てられたホテルである。

2017年平成29年)に設立された「日本クラシックホテルの会」に加盟する九つのクラシックホテルの内の一つ。
概要

1912年明治45年)創業の料理旅館「常磐館」の別館として、1934年昭和9年)に建てられた城郭風建築のホテル「蒲郡ホテル」である。鉄道省に設置された国際観光局が国際観光ホテル建設計画を発表した際に[1]、全国から名乗りをあげた40の候補地の中から、横浜雲仙大津とともに選ばれた。

外観は破風造りを有する日本建築風であるが、内部は鉄筋コンクリート造の洋風で、一般客室33室、貴賓室、サンルーム、ダンスホール、展望室などの施設を有していた[2]

ホテル本館が、経済産業省が認定する近代化産業遺産に認定、蒲郡市の景観重要建造物に指定されている。

現在も敷地内に常磐館時代の建物が点在し、聚美堂(しゅうびどう、現在の六角堂)、梅別館(現在の料亭竹島)、茶寮 鶯宿亭にホテル本館を含めた4棟が国の登録有形文化財(建築物)に登録されている。

庭園は、つつじの名所としても知られ、4月には「つつじまつり」が開かれる。春先の河津桜に始まりソメイヨシノツツジサツキと順に花が咲き、秋にはモミジの紅葉を見る事が出来る。

蒲郡プリンスホテル時代には、フィギュアスケート選手小塚崇彦の父である小塚嗣彦が支配人を務めていた。
歴史

1912年(明治45年)7月25日 - 繊維問屋滝兵(現タキヒヨー)の五代目 瀧信四郎が料理旅館「常磐館」を創業[3][4]

1933年(昭和8年)

2月 - 常磐館に併設される形にて、元鉄道省建築課長の久野節と陸軍建築技師の村瀬国之助による設計で、大林組によって着工[5][4]

瀧信四郎によって大衆娯楽場「共楽館」が建設・営業[3]


1934年(昭和9年)

2月 - 蒲郡ホテルとして竣工。

3月 - 鉄道省(当時)認定の国際観光旅館として開業[5][4]

11月 - 日米野球の名古屋での試合時にアメリカチーム(ベーブルースや、ルー・ゲーリッグジミー・フォックスレフティ・ゴメスMLB選抜選手)が宿泊。[6]日本チームは常磐館に宿泊。


1936年(昭和11年) - 清水宏監督の映画『若旦那・百万石』のロケに使用。

1937年(昭和12年)7月 - 竹島海岸に大衆旅館「竹島館」を新築し、蒲郡町へ寄付[4]

1944年(昭和19年)12月 - 常磐館、蒲郡ホテル、緑別館(のちの緑西閣)、共楽館、竹島館を日本陸軍病院に提供、営業を中止[4]

1945年(昭和20年)10月 - 終戦後、米軍により接収[7]

1951年(昭和26年)8月 - 蒲郡ホテル、国際観光ホテル整備法による登録ホテルに指定[4]

1952年(昭和27年)5月31日 - 4月に発効したサンフランシスコ講和条約によって接収が終了し、一般開放[8][4]

1955年(昭和30年)3月30日 - 皇太子明仁親王行啓

1956年(昭和31年)10月 - 清宮貴子内親王御成り

1957年(昭和32年)4月10日 - 昭和天皇香淳皇后行幸啓 2泊[4]

1958年(昭和33年) - 小津安二郎監督の映画『彼岸花』のロケに使用。

3月 - 義宮正仁親王御成り[4]


1959年(昭和34年) - 大庭秀雄監督の映画『ある落日』のロケに使用。

1960年(昭和35年) - 川崎徹広監督の映画『若い素肌』のロケに使用。

1961年(昭和36年) - 五所平之助監督の映画『猟銃』のロケに使用。

1962年(昭和37年) - 滝沢英輔監督の映画『雲に向かって起つ』のロケに使用。

1965年(昭和40年)9月21日 - 皇太子明仁親王同妃美智子行啓 ※第20回国体夏季大会ヨット競技会臨場の為


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