京浜急行電鉄の駅については「京急蒲田駅」をご覧ください。
伊予鉄道郡中線の「鎌田駅」とは異なります。
蒲田駅
東口・駅ビル(2010年3月)
かまた
Kamata
所在地東京都大田区
所属事業者
東日本旅客鉄道(JR東日本・駅詳細)
東急電鉄(駅詳細)
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西口(2021年8月)
蒲田駅(かまたえき)は、東京都大田区にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東急電鉄の駅である。
JR東日本の駅は蒲田五丁目、東急電鉄の駅は西蒲田七丁目に位置する。 以下の3路線が乗り入れている。JR東日本と東急の2社が乗り入れ、両社間の接続駅となっている。
乗入路線
JR東日本: 京浜東北線 - 線路名称上は東海道本線であるが、当駅には電車線を走る京浜東北線電車のみ停車し、列車線を走る東海道線列車は停車せず、旅客案内では「東海道(本)線」とは案内されていない。また、特定都区市内制度における「東京都区内」南限であり、東海道本線における首都圏本部管内最南端の駅である。駅番号はJK 17。
東急電鉄: 池上線・ 東急多摩川線 - 東急の駅には池上線と東急多摩川線の2路線が乗り入れる。後者は社名である「東急」を加えた「東急多摩川線」が正式名称であり、駅構内でも同様の案内となっている。駅番号は池上線がIK15、東急多摩川線がTM07。
歴史蒲田駅周辺の白黒空中写真(1963年6月23日撮影)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
年表
1904年(明治37年)4月11日:国鉄東海道本線の駅が開設[1]。
1914年(大正3年)
12月20日:京浜線(現・京浜東北線)運行開始。
12月26日:京浜線電車故障頻発に伴い、運行中止。
1915年(大正4年)
5月10日:京浜線電車運行再開。
12月30日:蒸気機関車列車停車廃止[2]。
1922年(大正11年)10月6日:池上電気鉄道線(現・東急池上線)当駅 - 池上駅間開通[3]。乗降分離形の相対式2面2線で国鉄蒲田駅に対して直角方向に設置される[4][3]。
1923年(大正12年)11月1日:目黒蒲田電鉄目蒲線(現・東急多摩川線)当駅 - 沼部駅間開通[1][5]。国鉄蒲田駅に南から沿う形で池上線との間に片面ホームを切欠きにした1面2線で駅が設置される[4][1][3]。
1927年(昭和2年):池上線蒲田駅が移転、1面1線で目蒲線蒲田駅と向かい合わせに並行する形となる[4][3]。
1934年(昭和10年)10月頃:目黒蒲田電鉄が池上電気鉄道を吸収合併、池上線から目蒲線への連絡線(簡易渡り線)が設置される[3]。但し、簡易式渡り線で、車両移動時のみ設置した[4]。
1940年(昭和15年)5月:利用者増加に伴い、池上線が頭端式ホーム2面2線で国鉄蒲田駅と直角方向となる位置に移転する(目蒲線とは分離)[6][3]。目蒲線蒲田駅はホーム幅員が3倍に拡幅され、島式ホーム1面2線となる[4][3][注釈 1]。池上線と目蒲線を結ぶ簡易渡り線は廃止され、車両の移動は不可能となった[4]。
1945年(昭和20年)
6月1日:戦災のため、目蒲線矢口渡駅 - 蒲田駅間休止。
8月14日:目蒲線矢口渡駅 - 蒲田駅間仮復旧[7]。道塚駅を休止して、その付近から池上線上り線を転用して池上線蒲田駅まで単線並列化し仮復旧[6][3][7][8](以後の東急蒲田駅は駅構造の項目を参照)。
1962年(昭和37年)12月:東口駅ビル「パリオ」が開業[9]。
1966年(昭和41年)5月:東急蒲田駅高架化工事と蒲田東急ビル(→東急プラザ蒲田)建設工事着工[6]。
1967年(昭和42年)10月29日:東急蒲田駅北側半分が高架化[10]。目蒲線は単線運転区間が解消され、全線が複線となる[10]。
1968年(昭和43年)
10月29日:東急蒲田駅南側半分が高架化、頭端式5面4線の高架化完成[11] 。池上線も単線運転区間が解消され、全線が複線となる[11]。
11月1日:蒲田東急ビル(→東急プラザ蒲田)開設[11]。
1969年(昭和44年)11月16日:角材や鉄パイプを持った学生が駅ホームで佐藤栄作首相の訪米阻止を訴えるデモを行った後、東口広場で機動隊に火炎瓶を投擲する騒ぎを起こした[12]。
1970年(昭和45年)4月26日:西口駅ビル「サンカマタ」開業[13][9]。