蒙昧主義
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蒙昧主義(もうまいしゅぎ、英:Obscurantism、仏:Obscurantisme、独:Obskuritat)とは、意図的に曖昧な言い方をしたり、またある問題を明るみにすることを妨げるような態度のことを指す。反啓蒙主義と訳されることもあるが、啓蒙思想に対するカウンターとしての反啓蒙主義(Counter-Enlightenment)とは異なる。

この語は翻訳語であり、英語やフランス語などの原語の語法では、大別して以下の二つがある。

1)知識や情報が広がるのに反対すること:公共の空間に知識がひろまるのを許可しないこと

この用法は18世紀の啓蒙主義者らによって普及した。そのため、狭義には、新しく合理的な概念を拒絶し、古い権威を蒙昧的に擁護する態度を意味する。

中国語ではObscurantismは「愚民政策」として翻訳される[1]が、それはこの意味に限定したものである。


2)文学や芸術や思想などで、意図的に曖昧または難解な表現を使うスタイル、のことを一般には意味する。

この用法ではカタカナでオブスキュランティズムと書かれることが多い。

日本語では類似する語として「韜晦趣味」また「衒学趣味」がある。


語法の歴史

ラテン語 obscurans(意味は闇・暗い)が語源である。

この語は16世紀ドイツの風刺文集Epistola Obscurorum Virorum(Letters of Obscure Men)のタイトルで広く知られることになった。この文集はスコラ哲学者の教義や生き方を風刺揶揄したものを集めたもので[2]、人文主義者ヨハネス・ロイヒリンとユダヤ教から改宗したドミニコ会士ヨハンネス・プフェファーコルンらと間でユダヤ教の書物の焚書を巡って展開した論争にもとづくものだった。

18世紀には、啓蒙主義者らが、敵である保守層、とりわけカトリック信徒を攻撃するために用いられた[3]

19世紀にはいってからはニーチェが、形而上学神学での用法における「蒙昧主義」と、カントや懐疑論哲学らのようなより精密な思想における「蒙昧主義」とを区分するなかで、「蒙昧主義の黒い技術における本質的な要素とは、個人の理性を闇のままにしておこうとすることではなく、世界像を暗くすること、わたしたちの実存の観念を暗くすることにある」[4]という言い方をしている。
思想史における蒙昧主義
知の制限としての蒙昧主義

知の制限としての蒙昧主義の起源には、プラトンの『国家』における議論がある。これはのち新プラトン主義否定神学キリスト教神秘主義ヘルメス主義らが、「いいようのなさ」つまり表現不可能性という概念によって間接的に語るやり方に受け継がれた。当初、プラトン『国家』では、社会を安定させておくために知識が制限されることすなわち民衆が無知であることを好む「蒙昧な統治者(the obscurant)」が問題として扱われていた。

『国家』ではポイニケ(フェニキア)の物語としてテバイの建国神話を紹介する(第三巻414-17)。他の国民も国民もおなじ母なる大地からでてきたという意味では兄弟であるが、神は支配者になる能力を持ったものに金を混ぜ、その補助者(軍人・外人部隊)には銀を、農夫や職人には鉄と銅をまぜた。しかし時には金から銀が、銀から金が生まれる。重要なのは、金を以て生まれてきた子供を見定めることで、神託では「鉄や銅の人間が一国の守護者になるとき、その国は滅びる」といわれる。また、哲人王は、「高貴な嘘(Noble lie)」を使用してよいともされる。

これらの点についてリチャード・クロスマン(英語版)[5]カール・ポパー[6]らは全体主義または権威主義または「閉じた社会」としてプラトンを批判した。このような意味での蒙昧主義とは、統治上の必要性から人々を無知でいさせる「愚民化政策」であり、反知性主義エリート主義、したがって反民主主義的なものである。大方の人々にとって知識は必要がなく、真理に関わる必要がないとされる。

18世紀になって、コンドルセは、アリストクラシー体制下の社会問題にかんして蒙昧主義が蔓延していることを痛烈に批判した。

20世紀にはいってからは政治哲学者のレオ・シュトラウスが、プラトンにならい「高貴な嘘」の必要性を説いた[7]。記者シーモア・ハーシュは、シュトラウスによる「高貴な嘘」への言及を、「社会のきずなを維持するための政治家が使用する神話」とした[8]
東洋思想における蒙昧主義

また、東洋では、孔子が「民可使由之。不可使知之。[9]」という言葉を残しており、これは長く「民はこれに由らしむべく、これを知らしむべからず」すなわち「民衆は従わせればよく、知らす必要はない」と解釈されてきた。この意味で孔子は「愚民政策」または「愚民化政策」を提案したわけで、「蒙昧主義」といえる。しかし、歴史家宮崎市定は、それは誤読で、この文言の意味は、「大衆からは、その政治に対する信頼を贏(か)ちえることはできるが、そのひとりひとりに政治の内容を知って貰うことはむつかしい」という意味であるとする解釈をしている[10]
文体(様式)における蒙昧主義

19世紀から20世紀にかけて「蒙昧主義」は、抽象的で理解の困難な文体様式)をあらわす論争的な言葉としても使われ始める。

近年の徳倫理学の議論では、アリストテレスニコマコス倫理学が倫理的蒙昧主義として論難されている。


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